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大昔の話ですが、私が中学生だった時、 成績は10段階でつけられていました(最近は、5段階評価が一般的ですが)。 私の数少ない自慢話の1つに、中学1年生の1学期の成績が、 同学年の学年末には3段階あがったことがあります。 当時、担任の先生に「よくがんばった」と大変褒められたことを覚えています。 頑張れば、10段階評価で3段階くらいは上がるものだと信じるようになりました。 5段階評価にすると、1.5段階、よく言えば2段階アップにあたるでしょうか。 そして、指導者になった時、教え子の中学生の中に、 一年足らずで5段階評価で3段階あげた生徒に出会いました。 5が取れたとしてもスタートは2だったということです。 4であればスタートは1だったということです。 私自身の伝説が崩れた大変うれしい出来事で、今でも決して忘れられません。 なぜ、ここまで極端に上がったのか。 指導者であった私にもはっきりとはわかりません。 私の教科的な指導法が特別に優れていたとは全く思っていません。 ただ、昔読んだ本(魔法のコーチング)の内容を思い出しました。 その本では、アメリカにいる第一子(長男・長女・一人っ子)は、 35%ほどなのにもかかわらず、多くの職業の優秀な人材を調べてみると、 その40%から、職種によっては80%を第一子が占めているという情報を受け分析しています。 もちろん、生物学的に第一子が優秀だというのではなく、 多くの親が他の子どもに比べて、第一子に特別扱いをしている可能性を訴えているのです。 そのアプローチとは、「期待」「責任」「フィードバック」です。 第一子に対して、親はこの3つのアプローチをしがちだというのです。 「期待」とは、その言葉の通り期待をかけるということです。 今はできていなくても「貴方なら必ずできる」と信じて、 常にメッセージをかけ続けることです。 目標をイメージさせると捉えてもいいでしょう。 「責任」とは、役割を与えると言ってもいいかもしれません。 「お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから、妹や弟の面倒を見るのよ」とか、 「妹や弟の手本になってね」ということがありますよね。 これが、役割を与える、責任を与えるということです。 「フィードバック」とは、承認することです。 「あなたのやっていることはOKよ」とか、 「こうやってみたらどう?」というアドバイスも含まれるでしょう。 つまり、第一子に向けたアプローチが、 第一子のパフォーマンスを高めている可能性が高いというのです。 これは、パフォーマンスを挙げたいどんな子どもに対するアプローチの大きなヒントになります。 前述の教え子に何をしてきたかと思い出してみると、 最初の内は、確かにスラスラ問題を解くことはできませんでした。 しかし、説明を聞く姿勢も、その後の態度も大変素直でした。 必ずこの子は、80点取れると確信しましたし、本人にも 「こんな風に勉強していれば、必ず驚くように成績が伸びるし、 得意になるかもしれない」と言い続けましたし、 「それが実現すれば、数学が苦手な子どもの気持ちが分かるようになるし、 そんな君が数学の先生になったら生徒が幸せだ」とも伝えました。 目標をイメージさせたわけです。つまり「期待」をしました。 そして、授業だけでなく、家庭学習として宿題も課しましたし、 学習計画も立てさせ、計画的に学習するように伝えました。 つまり、「責任」を与えたのです。 承認活動は、適切な行動ではもちろん、不適切な行動があった時にも、 はっきり伝えました。もちろん、前述のような生徒でしたから、 褒めることが多かったし、即座に、その都度伝え続けました。 これが「フィードバック」です。 先ほどの本の内容の枠組みで振り返ると、 まさしくその通りにしていたなと今振り返れば思うのです。 もちろん、私のアプローチに応えてくれた教え子自身の努力による成果ではあります。 今のお子さんに対して、親としてもの足りない部分も少なからずあるでしょう。 しかし、「子どもは変われるものなんだ」と、改めて確信する日々にしていただき、 今回のアプローチの例を参考にしていただけたら幸いです。

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例えば、夕食後、ご主人から 「今日の夕飯、すごく手が込んでるね。お前も腕をあげたな~」 と言われるのと、 「今日の夕飯も、すごく美味しかった!美味しくて食べ過ぎてお腹が苦しい!」 と言われるのでは、どちらがよりうれしいでしょうか? よく味わっていただくと、多くの方が後者を挙げるのではないでしょうか。 前者は、褒め言葉です。うれしくない訳ではありませんが、 世界一の料理人から褒められたのならともかく、家族からの褒め言葉では、 「あなた何様?」と、私なら心の奥でつぶやきそうです。 一方、後者では褒められた感じではありません。 ただ、事実として「美味しかった」と伝えています。 さらに、美味しかった証拠に「苦しくなるほどに食べてしまった!」と伝えています。 これほどまでに、美味しかったとご主人や家族に満足してもらえたら、ルンルン気分になりそうです。 よく、子どもを褒めて育てなさいと言われますが、実は、 褒められれば嫌な気持ちにはなりませんが、 自分のしたことが相手に喜んでもらえたというメッセージほどのうれしさや、やる気には敵いません。 お子さんが、何かに喜んでいたら、喜びの意味がよくわからなくても、 「あなたが喜んでいるからお母さんもうれしいわ」と、一緒に喜んじゃいましょう。 勉強や部活動、その他で、何かお子さんが達成したことがあれば、 ただ一緒に喜んでしまいましょう。仮に、お子さんがそれほど喜んでいない様子でも、 保護者が勝手に喜んでしまいましょう。 お子さんはクールな振りをしているだけかもしれませんし、 仮にそれほどの喜びを感じていなかったとしても、 お母さんやお父さんが喜んでいる姿に、 自分が成したことの重要性に気づくことにもなるでしょう。 それが、お子さんの自信となります。 決して、「よくやった!」、「エライわ!」なんて、褒めないことです。 ただただ、親しい友人の成功を共に喜ぶように・・・。 仮に全体を喜べなかったとしたら、部分的に喜びましょう。 親:「今日の野球の試合に勝てて良かったわね」 子:「うん。でも、全然ヒット打てなかったし・・・」 親:「ヒットが打てなくてがっかりしているんだ・・・」 子:「それはそうだよ。みんなヒット打ったのに・・・」 親:「そうね。みんないいヒット打ってたもんね。    でもね、あなたの送りバントが成功して、まわりまわって得点になったじゃない。    お母さんうれしかった。あのバントが成功してなかったら、得点に結びつかなかったもんね。    ヒットは打てなかったけど、あなたはあなたの仕事をきちんとしたことがうれしくて仕方ないわ。    次はヒットでもチームに貢献できるように練習してね」 子:「うん!」

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先日、中学1年生お子さんをお持ちの、あるお父様から相談を受けました。 「中学1年生なのに、英語の成績が芳しくなく、 これでは、英語嫌いになってしまうのではないかと心配している」とのことでした。 このお父様は、心配するだけでなく、ご自分で時間を見つけては、 簡単な文法や単語を教えているそうです。 しかし、その場では、何とか理解しているようなのですが、 翌朝になったら忘れているとのことでした。 お子さんも同伴されていたので、お子さんに聞きました。 「英語の勉強をどう感じているの?」 「できるようになりたいのですが、なかなかやる気になりません」 との回答でした。 大変、ハキハキと応えてくれる様子から、 能力的な問題ではないことが推測できました。 以下、彼との会話です。 私:「外国の人を普段見かけませんか?」 子:「よく見ます」 私:「その人たちが、日本に来てわからないことを質問するとします。    その時、君がきちんと英語で説明できたら、その人は、どう思いますか?」 子:「感謝してくれると思います」 私:「感謝されたら、君はどんな気持ちになりますか?」 子:「嬉しいです」 私:「嬉しいよね。外国の人も、君も嬉しくなれるために、英語を学ぶんだよ。    外国の人に、いきなり、君がわかるように『日本語で話せ!』というのは酷だよね。    困った時に助けてくれる日本人に接した時に、日本はいいな。    と感じて、日本語を覚えようとするかもしれないけれどね。    だから、まず、君が英語を理解して手助けをしてほしいんだ。」 子:「はい」 私:「それじゃ、ちょっと、簡単な文を使って、英語と日本語の違いを確認してみよう!」 この後、英語が、主語と動詞で組み立てられていること、その理由。 主語によって動詞が変化する英語の特徴。 時制によって動詞が変化すること。その理由。を、30分ほど説明しました。 私:「今、君ができるようになったのは、英語と日本語の違いを理解できたからなんだよ。    英語の特徴がわかれば、君も英語ができるようになるんだ。    英語の特徴を理解することが、英語を勉強するということなんだ。    これができたら、外国の人に喜んでもらえるし、格好いいと思わないかい?」 子:「思います」 私:「だからこそ、単語や英語の癖を覚える必要があるんだよ」 そばで、聞いていたお父さんが、 「なるほど。こんなアプローチがあるんですね。 私が教えている時と全く表情や態度が違っていました」 とおっしゃって、驚いていらっしゃいました。 英語を出来るようにするために、単語や文法を覚えることは大事なことですが、 なぜ英語を勉強しなければならないのかという意味が子どもなりに理解されていなければ、 なかなかやる気になれないものです。 「なんで、勉強しなければならないの?」と子どもに聞かれたら、 皆さんは何と応えますか?どんなアプローチをしますか? 私は、30数年前、とある学校の卒業式でPTA会長が卒業生に送った、 「知恵ある者は、知恵を出せ!知恵なき者は、汗を出せ! 知恵も汗も出せないものは、この場を立ち去れ!」 という有名な訓話を思い出します。 私たちは、人の役に立つために、社会に存在していて、 知恵が出せたり、汗を出せるようになるために、今、勉強する必要があるのです。 それが、できなければ、去る。つまり、社会的に価値がないわけですから・・・ 是非、子どもにスッと受け入れられる「意味(目的)」を伝えてみて下さい。 必ず、やる気も、成果も変わってきます。

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落語にある「目黒のさんま」という噺は有名です。 殿様が、外出先で偶然、庶民的に調理された低級なさんまを食したところ、 殿様用に屋敷で調理されたさんまと比較して美味しかったところから、 「さんまは目黒にかぎる!」と下る噺です。 さんまが美味しかったのは、目黒という土地ではなく、 あくまでも黒く焦げた、骨を抜いていない庶民的な調理法にあったのですが、 殿様は目黒という場所に紐づけたのです。 きっと家来は、殿様が何を言っているのかわからなかったことでしょう。 なぜ、さんまと目黒が結び付くのか・・・。 親子関係でよく、親が、 「自分の子どものことがよくわからない」とか、 「子どもが何を考えているのかわからない」という訴えをよく聞きます。 また、子どもは子どもで、 「親は、自分のことを少しも理解してくれない」と訴えます。 以前、宇宙人という比喩が流行したこともありましたね。 確かに、宇宙人とは、文化、文明が違い過ぎて、理解できないかもしれません。 親子関係で、宇宙人とは悲し過ぎます。 このような事態は、親も子も、自分の価値観(自分の見方)、 信念(思い込み)で、相手を理解しようとしているからです。 逆に言えば、相手の価値観や信念を理解しようとしていないのです。 それは、わかるけど、 「子どもが話をしてくれないので、理解しようにも理解できない!」 という悩みもあるかもしれません。もし、そうならば、 まだまだ、親が子どもを理解しようとするステージに立てていないかもしれません。 子どもが、「本当に話を聞いてくれそうだ」と感じれば、話をしてくれます。 だって、友達とは、話をしていますよね。 そうなんです。 「子どもを理解しよう」、 「子どもに話してもらおうと思う」なら、 親は子どもの友人のような姿勢で子どもと接し、 話しやすい環境を準備することなのです。 友人だったら、 「へー。そうなんだ」、「それでどうしたの?」という相槌、 「それは、頭に来るね」という共感、 「それは、~したら良いんじゃない?」という意見言葉 (自分の個人的な意見だと相手に伝わる言い回し)などが、 頻繁に行われているのではないでしょうか。 子どもを批判したり、話を急かしたり、 一方的に親の意見を押しつける等の姿勢を棚上げして、 子どもに安心・安全な環境を整えれば、 子どもは自由に自分の気持ちを伝えてくれるようになり、 凡そ「子どものこと」、 「子どもが考えていること」を分かり合えるのです。

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私たちは、子どもをやる気にさせようとか、 新たな行動をさせようとする時、一般的に、 「褒める」、「励ます」、「叱る」、「批判」というアプローチをするものです。 次の3つの会話例で、ご自分が子どもになったつもりで味わってみて下さい。 例1) 子:「テストで90点とったよ!」 母:「えらいわね。今度は100点とれるように頑張ってね!」 例2) 子:「試合に負けちゃった」 母:「負けたことを、いつまでもクヨクヨしていても仕方がないじゃない。   今度は勝てるように頑張りなさい」 例3) 子:「今日、忘れ物しちゃった」 母:「『忘れ物しちゃった!』じゃないわよ、いつも、   『前の晩に、しっかり持ち物を準備しておきなさい』   ってあれほど言っているじゃない!」 いかがでしょうか。子どもとして、やる気や行動が変わりそうですか。 例1では、子どもは、「テストで90点とったよ!」の次に、 どんな言葉を続けたいのでしょうか。 例2では、「試合に負けちゃった」の次に、 どんな言葉を続けたいのでしょうか。 例3では、「今日、忘れ物しちゃった」の次は、 どんな言葉を続けたいのでしょうか。 これらの子どもが続けたい言葉に意識を向けていると、 他のアプローチが見えてきます。 例4) 子:「テストで90点とったよ!」 母:「嬉しそうね」 子:「そりゃ嬉しいよ。あんなに苦労して勉強したんだもん」 こうなると、単に点数だけに喜んでいるのではなことが察せられます。 「苦労した甲斐があった。苦労したけれど、苦労すれば成果につながることに満足」 ということを実感しているのかもしれません。 「点数が良かったから喜んでいるのね。 それじゃあ、褒めてあげれば、もっと頑張るだろう」 というように親が捉えていたとしたら、親子の認識がずれてしまいます。 子どもにとってみると、「そこじゃないんだよな」ということになるかもしれません。 そうなると、親のアプローチが、子どものやる気や態度を変えることに役立たず、 このようなずれが続けば、子どもは親に話すことを控えるようにもなってしまう恐れもあります。 ポイントは、子どもの「テストで90点とったよ」の言葉だけでなく、 声のトーンや表情を観察して、「嬉しいのか」、「悲しいのか」、 「落胆しているのか」を察して、言葉にした「嬉しそうね」の一言なのです。 この一言によって、子どもが、「そうなんだよ…」、または、 「そうじゃないんだよ…」とその発言の詳細を話してくれる呼び水になるのです。 親の気持ちを伝えるのは、この詳細(子どもの本音)を聞いてからでも遅くありません。 この一言こそ、共感なのです。 お子さんの気持ちを察して伝える共感を自然にできるようになると、 お子さんが自ら学ぶ機会となる上に、 お子さんとの会話がもっと楽しくなるのです。 是非、前述の例2、例3の共感も考えてみてください。

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私達、保護者は、子どもに成長してほしい、 成果を挙げて欲しいと願い、努力を求めます。 しかし、努力がそのまま成果に現れれば良いのですが、 大抵の場合、明確な成果はすぐには現れないのです。 努力と成果の関係を示すレミニセンスという理論があります。 簡単に言うと、すぐに結果はでないという考え方で、 これをグラフで示すと、横軸に時間をとり、縦軸に努力や成果をとります。 日々、コツコツと努力を続けていると、 右上がりの直線(比例のグラフ)になるとすると、 成果のグラフも、努力のグラフに順ずる右上がりの直線になるはずです。 しかし、多くの場合、最初は、上がり方の鈍い(成長が目立たない)曲線になります。 しかし、やがて急激に上昇するようになり、やがて努力の直線と交わり、 さらには努力の曲線を超える成果が現れるようになる時期がやってきます。 努力を続けていれば、必ずこのような曲線の過程をたどるはずです。 ところが、努力の初期は成果があまり目立たないので、 自分の努力を疑うことが良くあります。 「なぜ、こんなに努力しているのに、成果が出ないのだ!?」と…。 また、まわりの支援する人も 「なぜ結果が出ないのか?努力が足りないのか?」 と不安や疑問を持つようになります。 数値に現れるような成果を引き出すためには、 この不安な時期を、本人はもちろん、まわりの支援する人も、 何としても乗り越えることが必要なのです。 この時期を支えるのが、子どもの傍にいる、親であり先生なのです。 それならば、と、 「この時期を乗り越えなければダメだよ」 と伝えても、あまり効果は期待できません。 大人にとってよくわかった過去であっても、 子どもにとってはイメージしにくい、まだ見ぬ未来だからです。 子どもは、子どもなりに努力をして、 小さな変化は起こしているものです。 その小さな変化を発見し、 「あなたは努力しているよ。そして、既に成果が出ているよ!」 というメッセージを伝え続けるのです。 子どもも、成果を感じることができれば 「もう少し頑張ってみよう!」という気持ちが湧いて来るのです。 まずは、「子どもの小さな変化」を発見することです。

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次の英文が文法的に正しければ〇、間違っていれば×をつけなさい。 She is tasting the cake. (慶応大学の入試問題より) : : : 正解は〇です。 なんら誤りはないのですが… しかし少なくない人が✕を選んでしまうのが現実です。 それは"進行形にできない動詞"とかいうわけわかめな「公式」を丸暗記することが英語学習になってしまっていたからです。そんな教え方するバカ教員もクソ教科書もぜひ断捨離しましょう。 このようにね。これらを「覚えなきゃ」ってなってしまうのが残念なのです。その結果おそらく✕を選んだ方は勉強熱心な方なのだろうということになります。 こんなん関係ないんです。どうでもええですわ。 ただたんに"感覚"が"ヤダ、変だ"って拒むだけです。 ざっくり言うと、進行形の感覚って、躍動感とか生き生きとしている感じです。 そういう感じと「フツー昨日も今日も明日もずっとせやろ」って感じが"合わない"だけです。 べつに「できない」とかいう謎ルールなんか要らんのです。 それに洗脳され踊らされ、むやみにルールの暗記こそが学習だと翻弄され苦労した真面目で勉強熱心なかたには頭が下がります。ぜひ今からでもちゃんと学びなおしましょう。 覚えた"ルール"はぜんぶ!忘れてくださいね。 生き生きとした躍動感が進行形という形になって表現されるのですから、べつに Tom is resembling his father. ってトムに久しぶりに会った親戚が 「はー!似てきたなー!」って言ったってべつにいいんですよ。 文法的にはresembleは…って知るかアホってことです。 ルールが先にあってその上に言葉があるのではありません。 言葉が先にあって観察してたらなんとなく共通項とか見えてきたものをあとから体系的に整理しものを文法と呼んでいるのです。 もちろん外国語である 以上、文法を理解した方が当然それが習得の近道です。絶対にね。   しかし大切なのはそれを「暗記」することではないと、この問題は強く訴えかけています。 そこはさすが慶応ではないでしょうか。 良問です。 進行形理解のその核に、生き生きとした躍動感を感じてるかい? と問うたのだと思います。

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◇わたしたちは、子どもを立派にしたいから、 ついつい出来ていないところや駄目なところを 注意してしまいますが、この注意が頻繁に行われると、 子どものセルフ・エスティーム(重要な他人から 自分のことを重要だと思ってもらえている実感)は どんどん下がってしまいます。そうなると、 出来ていないことや駄目なところは、改善するどころか、 どんどん悪くなってしまう傾向があるのです。 ◇子どもが、自分の出来ていないところを改善するためには、 子どもがその出来ていないところを自分で気が付いて、 どうにかしたいと思うことが重要なことです。 そういう感情が湧かないと、いくら他人から注意をされても、 なかなか改善しないものです。 ましてや、親が一方的に子どもの出来ていない点を注意しても、 子どもはそれを到底聞き入れてくれるものではありません。 ◇ですから、それよりは、子どもの出来ているところを承認した方がよいのです。 その方が、子どものセルフ・エスティームが向上するので、 子どもは自分の出来ていないことにも、意識が向きやすくなるのです。 ◇子どもは、セルフ・エスティームが高くなると、 自分の出来ていない点や駄目な点を受け止められるようになります。 そうなれば、自分でその出来ていない点や駄目な点を改善しようと動き出すようになります。 その時に、親が子どもの改善行動を関心をもって見てあげることなのです。 この方が、断然有効です。その時が来るまで、親は、 子どもの出来ていることを承認し続けることです。それも気長に。 ◇たとえば、出来ていることを承認するとは、こういうことです。 お母さん:おはよう! A君  :・・・。 お母さん:おはよう!! A君  :おはよう・・。 お母さん:A君の挨拶でお母さんも元気になったわ!ありがとう! ◇挨拶をしないことに注目しないで、出来たことに注目して、 そのことに言及していくことです。 ぜひ、子どもの出来ていること・当たり前にやっていることに注目し、 そのことを承認してください。これこそ、子どもに対する存在承認なのです。

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2024.05.07

Can't Buy Me Love

「Can't Buy Me Love」ーbeatles I'll get you anything, my friend If it makes you feel alright… あんまし説明するのも無粋なのだが、 このgetの意味とか、makeの意味とか、 これってさ、辞書をひいて、山ほど載ってる日本語訳の中から合いそうなやつを気合で見つけてこれだ! ってなるの はあまりにも空しいと思うんだ。 そうやって言語学習を勘違いして、 ひとつの単語にたくさんの意味があるから全部おぼえなきゃ!ってなってその膨大な暗記量に圧し潰されそうになっている学習者を見かけることほどつらいものはない。 はじめて覚えた”得る””作る”とは「違う意味」だとするから、 無尽蔵に「覚えないといけないこと」が増え続けてしまうんだと思う。 そうではなくて、核となる中心イメージみたいなんから広げていくことと、 やはり、文型って大切だと思うんだ。 いわゆる第四文型のかたちをしてるから、なにかしら受け渡しの意味、 いわゆる第五文型のかたちをしてるから、 とりまなんしOがCの状態なんだなって、”(辞書的な意味を知らなくても)そんな風に「感じられる」”ということ。これが重要なんだと思う。 文型と聞くだけで脊髄反射で拒絶反応が出る人も少なくないかもしれない。意味さえ分かればいいと主張する人もいるだろう。 しかし、文型を知らずして、 意味だけは分かる方がよっぽど難しくないかね、と思う。 それができるころにはそれこそもうもはや、歩く辞書だ。 はじめて見る単語いや極端な話、存在しない単語ですら、 I xhusyainfukaehnv you a ring. という英文を見たら、ああ、あなたに指輪を渡す的な意味なんだろうなって感じ取れる… そしてタイトルである「Can't Buy Me Love」からも、わたしを買うのではなく、わたしに買い与える的な意味なのかと”わかる”感覚。 ややもすると(指導者がバカだと)文型の学習なんてのは無味乾燥でつまらなく思うかもしれない。 だけどその向こうに、その型に込められた感覚をつかみ取れるようにな ると、活力のみなぎった英文が生き生きと自分に寄り添ってくるようになる。 ひたすら単語の意味をつぎからつぎへと暗記していくより、よっぽどそこには、うるおいやいろどりが待ってると思うんよ。 ここに入試英語だの実用英語だのの差異なんてたいしてないと思う。 みやみやたらな暗記から解き放たれ、受験英語的にも学習時間や量の最適化、実用英語的にも生き生きと英語が使えるようになる。 そんなもしかしたらまるで魔法のように聞こえるかもしれない、その現実が、たとえば文型の理解なのではないかな。 そこに愛や感情を込めることができる指導者のもとならね。

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子:「頑張った のに、駄目だった」 親:「違うわ、頑張らなかったから駄目だったのよ!」 子:「でも、私、頑張ったよ!」 親:「他人はそれ以上に頑張っているのだから、あなたは頑張ったとは言えないわ」 上は、 ある結果が出た時の親子の会話です。 さあ、この子どもは、親の言う通り頑張っていないのでしょ うか。親としては、なんとか親の望む結果を出して欲しいものですが、あまり結果だけに拘り過ぎると 、 思わぬリスクが生じる場合があります。 そのリスクとは 、「 自分自身の達成感に満足してはいけない 」「 常に親(他人)を満足させなければならな い 」 という、自律とはほど遠い信念を持ってしまうことです。 そこで、以前、私が生徒に指導していた時のある生徒A さん との会話をご紹介します。 私:「テストどうだった?」 A:「(遠慮がちに)ちょっと良かった!」 私:「ほんと?(80点位とれたのかもしれないと思いながら……)何点だった?」 A:「49点」 私:「50点満点?」 A:「いいえ100点満点です。でもね、先生!前回30点だったのに、19点も上がった んです」 私:「(慌てて……)そうだね。頑張ったね」 A:「そうですよ。頑張りました」 私:「(気を取り直して……)それは良かった。次は、何点位とるの?」 A:「55点とれたらいいですね」 私:「今回、頑張って 19点も上げたのに、次は6点アップじゃあ少なくないかな」 A:「確かにそうですね。でも、私、勉強得意じゃないから」 私:「得意じゃないのに、30点を49点にし たのは、まぐれだったのかな」 A:「まぐれじゃありません。私、頑張りました! 」 私:「そうだろ。得意でも、不得意でも、今回のように頑張れば、55点なんて目じゃないんじゃない」 A:「確かに 」 私:「単純に考えても68点は取れそうじゃない。キリが悪いから70点目指して勉強してみたら?」 A:「わかりました。70点目指します 」 私からすると、最初のテストの結果は満足のいくものではなかったのですが、生徒にとっては、自分の努 力の成果に満足していたのです。次のテストでは、58点でした。「先生、約束を守れず、ごめんなさい」 と謝られました。確かに目標点数には届きませんでしたが、本当に前回以上の 頑張り でした。 最初に私が、 私の基準で評価をしていたら、次の機会にこんなにやる気で頑張れただろうかと不安になり ました。この後は、生徒に結果を訊ねる時は、「君はどう感じているの?」と生徒の気持ちを聞くように しています。親の理想は理想として、まずは子どもの気持ちを確かめてみるとよいでしょう。「頑張った」、 「頑張らない」の言い争いや思い違いからは、子どものやる気の活力は生まれてこないからです。 まずは、子ども自身の結果に対する見方に共感するところから始めてみませんか。

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