ジュクサガス

3000円
\ 完全無料!かんたん1分 /
この塾に資料請求する
キープ
ユニバ進学教室石切校
無料で資料を請求する
2024.07.22

天使とは、

天使とは、美しい花をまき散ら す者ではなく、苦悩する者のた めに戦う者である。 - ナイチンゲール   ◇天使と悪魔の違いは何か。そ れは、天使は、苦悩する人のた めに、くじけそうな心の支えに なるのに対して、悪魔は、元気 な人を苦悩する人に変え、そし て、奈落の底に落とそうとする。 ◇そして、重要な違いは、その 人の真実を応援するか、その人 の真実を曇らせて、見えなくし ようとするかだ。天使は、その 人に勇気を与え、悪魔は、その 人を誘惑して、勇気を奪い取る。 そのままで良いんだと誘惑して、 どんどん堕落の道へ誘い込むの が、悪魔だ。 ◇私たちは、天使になろう。天 使に巡り合うのではなく、私た ち自身が天使になってしまうこ とだ。そうなれば、悪魔はやっ てこない。

ブログ全文を読む
2024.07.19

学問なんて、

” 学問なんて、覚えると同時に忘 れてしまってもいいものなんだ。 けれども、全部忘れてしまって も、その勉強の訓練の底に一つ かみの砂金が残っているものだ。 これだ。これが貴いのだ。勉強 しなければいかん。 ” - 太宰 治   ◇子どもの時の勉強は、大人に なってからの勉強の練習だ。私 たちは、このことを忘れてしま う。子どもの時は、勉強して、 大人になってからは、勉強をし なくなってしまう人が多い。そ れは、全く本末転倒なのだ。子 どもの時に練習し、大人になっ てからが、本番の勉強なのだ。 ◇そして、勉強は、自分をどん どん変化させるための刺激に過 ぎない。それを実践するところ に、本番としての価値を持つ。 大人の勉強は、生きていく上で、 十分役に立つものなのだ。ここ が、子ども時代の勉強とは全く 違う。だから、子ども時代の勉 強を練習と呼ぶのだ。 ◇勉強をしよう。全ての勉強が、 そのまま実践できるものではな いが、その全てが実践の下地に なって、実践自体を豊かにして くれるものだ。勉強をしない大 人になっては、誰かにぶら下が る人間になってしまうだけだ。 勉強することだ。

ブログ全文を読む

アインシュタイン   ◇私たちの日常には、自分を成 長させない罠が至るところにあ る。例えば、「そういうもんな んだな」、「そうなっているんじ ゃ仕方ないか」、「今までそうや ってきたんだ」。この手の類の表 現でまとめられるものは、すべ て罠だ。 ◇それは、どんな罠なのか。疑 問を封殺してしまう罠だ。「なん でこんなことをしてるんだ!?」 という疑問に対して、「そういう もんなんですよ」で対応してお終 いにする。「なんでこんなことを 良しとしてるんですか?」という 疑問に対して、「そうなっている んですよ。仕方ないですね」とく る。「どうしてこんなことを今 もしているのですか?」という 疑問に「今までそうやってきた んです」と答える。 ◇私たちは、こういう罠に負け ないようにすることだ。これか らどうするのか。ここを議論す ることだ。そのために、疑問に 感じることに声を上げることだ。 前向きな疑問こそは、人生を好 転させていくことになるのだか ら。

ブログ全文を読む

◇命は、いつ果てるか予測が出 来ない。だから、今日をどう生 きるかをいつも問うことだ。突 然、意識がなくなってしまうか らだ。しかし、刹那主義になっ てはダメだ。今しかないのでは ない。今が、次から次へと自分 の前に現れるのだ。だから、永 遠に続くものとして自己成長を 続けるつもりで、いつも学ぶこ とだ。我以外皆師として。 ◇私たちの人生は、誰にも分ら ない。人生は、それが過ぎてい く時しか、わからない。だから、 自分自身で人生をどうしたいか を考え、その考えに出来るだけ 近づけるように、生きて行くし かない。突然、何かがおこる、 それが、人生だ。その突然を、 私たちが、受け止められるよう に生きるしかない。 ◇それが、死を覚悟しながら、 今を必死に生きるということな のだ。それこそが、死ぬまで成 長し続けること、変化し続ける ことなのだ。

ブログ全文を読む

- ヘミングウェイ   ◇私たちは、大きな可能性をも って生まれてくる。人間として、 どういう資質があるか、どう育 つかは、生まれた時は、全くわ からない。つまり、生まれた時 は、未知数の存在として、選択 肢=可能性が最大なのだ。しか し、徐々に、大きくなってくる と、どんどん選択肢=可能性が 減り出す。自分と他人、自分と 社会が、関係をもって、自分に 色々な刺激を与え、その刺激に よって、自分の中の可能性が色 々と顕在化してくる。 ◇だから、自分との関係性とい う変数が、人間の人生を決める。 自分には、左右されえない要素 である社会が、他人が、自分の 前に立ち塞がる。その障壁に私 たちは、挑むことになる。そう しなければ、自分自身の可能性 を自分が望むように顕在化出来 ないからだ。 ◇つまり、私たちは、いつも目 の前の現実と戦い続けることに なるのだ。戦いの土俵から逃げ てはいけない。降りてはいけな い。挑み続けることだ。そうし なければ、自分に与えられた可 能性を開花させられないからだ。 生まれた時の可能性の大きさが、 違う意味で深く大きくなってい く時、人間が成長したことにな るのだ。

ブログ全文を読む

- シェイクスピア   ◇準備が重要なことは、大人で あればだれでも知っている。しか し、その準備をしっかりする人間 は、すくない。それは、明確な目 的を誰ももっていないか、知らな いからだ。何のためにやるのか? この問いが出てこないのだ。 ◇だから、必ず、目的を意識し て生きることだ。何のために、 誰のために、何をやるのか。 やろうとしているのか。ここを 忘れてしまうと、準備が完全に は整わない。何かが欠けてしま うからだ。 ◇そして、準備は、それをやる ためだけのものではない。どん な事態になろうとも、準備をし ておくものなのだ。そのために、 人間力=対応力=決断力を鍛え ておくことだ。どんなチャンス であろうと、そのチャンスをつ かむために。チャンスとは、事 態が動くことだ。そう思って、 心の準備を怠らないことだ。

ブログ全文を読む

人生は自分の思い通りになんか ならないと思っている人は、自 らが思い通りにならないことを 望んでいる人です。   ◇人生は、思い通りにはいかな い。しかし、思い通りにはいか ないが、思ったことをやらない 手はない。思いは、実現しよう としなければ、何もないのと同 じだからだ。思いを実現するた めに、生きているのだ。だから、 思い通りにはいなくても、思っ たことは挑戦することだ。思い が叶う時もあるのだから。 ◇で、ここからが考えどころだ。 思いを実現するためには、何が 必要なのか。まず、思いの強さ、 真剣さは本当にあるのかどうな のか。ここが、弱ければ、当然、 思い通りにはいかないわけだ。 しかし、強い思いなら、その次 は、実現するための準備をどの くらいするかだ。準備に対する 強さ、真剣さがあるのかどうな のか。ここが弱ければ、当然、 思い通りにはいかない。結局、 思いはこの二つをかけ合わせた 強さで、実現するかどうかが ほぼ決定する。ほぼというの は、最後は運を呼び込めるか どうか。 ◇思い通りにはいかない人生だ から、思い通りに生きてみたい のだ。そのために、自分自身の 意志が、どうなのか、ここを問 うことだ。

ブログ全文を読む

まずは、ある結果が出た時の親子の会話例です。 子:「頑張ったのに、駄目だった」 親:「違うわ、頑張らなかったから駄目だったのよ!」 子:「でも、私、頑張ったよ!」 親:「あなたが、いくら頑張っても、他人はそれ以上に頑張っているのだから、       あなたは頑張ったとは言えないわ」 さあ、この子どもは本当に頑張ったのでしょうか。 それとも、親の言う通り、頑張っていないのでしょうか。 親としては、なんとか親の望む結果を出して欲しいものですが、 あまり結果だけに拘り過ぎると思わぬリスクが生じる場合があります。 そのリスクとは ・自分自身の達成感に満足してはいけない ・常に、親(他人)を満足させなければならない という自律とは、ほど遠い信念を持ってしまうことです。 そこで、以前、私が生徒に指導していた時のある生徒Aとの会話を ご紹介します。 私:「テストどうだった?」 A:「(遠慮がちに)ちょっと良かった!」 私:「ほんと?(80点位とれたのかもしれないと思いながら・・・)何点だった?」 A:「49点」 私:「50点満点?」 A:「いいえ100点満点です。でもね、先生!前回30点だったのに、    19点もあがったんですよ」 私:「(慌てて・・・)そうだね。頑張ったね」 A:「そうですよ。頑張りました」 私:「(気を取り直して・・・)それは良かった。次は、何点位とるの?」 A:「55点とれたらいいですね」 私:「今回、がんばって19点も上げたのに、次は6点アップじゃあ少なくないかな」 A:「確かにそうですね。でも、私、勉強得意じゃないから・・・」 私:「得意じゃないのに、30点を49点になったのは、まぐれだったのかな」 A:「まぐれじゃありません。私、頑張りました」 私:「そうだろ。得意でも、不得意でも、今回のように頑張れば、    55点なんて目じゃないんじゃない」 A:「確かに・・・」 私:「単純に考えても68点は取れそうじゃない。    キリが悪いから70点目指して勉強してみたら・・・」 A:「わかりました。70点目指します」 私からすると、最初のテストの結果は、とても満足のいくものではなかったのですが、 生徒にとっては、自分の努力の成果に満足していたのです。 次のテストでは、58点でした。 「先生、約束を守れず、ごめんなさい」と謝られました。 確かに、目標点数には届きませんでしたが、本当に前回以上のがんばりでした。 最初に、私が私の基準で評価をしていたら、 次の機会にこんなにやる気で頑張れただろうかと不安になりました。 この後は、生徒に結果を訊ねる時は、 「君はどう感じているの?」と生徒の気持ちを聞くようにしています。 親の理想は理想として、まずは子どもの気持ちを確かめてみるとよいでしょう。 「がんばった」、「がんばらない」の言い争いや思い違いからは、 子どものやる気の活力は生まれてこないからです。 まずは、子ども自身の結果に対する見方に共感するところから始めてみませんか。

ブログ全文を読む

“ああ僕は自分をあの醜いアヒル だと思っていたころは、こんな 幸福があるなんて夢にも思わな かった。” – アンデルセン 自己イメージが、自分の人生 を決定する要因になる。自分が 自分を小さく見てしまったら、 小さいまま終わってしまう。逆 に、自分を大きすぎてみてしま えば、社会から、見捨てられて、 色々と人生上の邪魔が入ってし まう。 だから、自己イメージの成長 がどうしても必要だ。なりたい 自分を目指すために、自己イメ ージをポジティブにすることだ。 過去の自分を現在から見てみた ら、案外良く見えるものだ。案 外やるじゃないか!と思うはず だ。その力で自己イメージの拡 大をしていくことだ。 自分はどうなりたいのか。な りたい自分になるための自己イ メージを持つことだ。意識的な 振る舞いが出来るようになる。 そうなれば、どんどんなりたい 自分に近づいていく。

ブログ全文を読む

以前、とある中学校区の保護者や地域の方々の集まる会の講師として、 子育てについてお話しさせていただきました。 講演では、生徒(子ども)と親(先生)の見ている世界は違うということをお伝えしました。 「ルビンの壺」と言われる絵をご存知の方も多いと思います。 絵の中心を見ると壺に見えて、両脇を見ると二つの顔が向き合っているように見えるのです。 この二つの絵を同時に見ることはできず、 壺として見ているときには、顔は認識できず、 顔として見ているときは、壺を認識できません。 人によって、どちらかの絵が極端によく見えるのです。 親と子、生徒と先生が、同じ「ルビンの壺」を見ていても、 子ども(生徒)が壺を認識していて、保護者(先生)が顔を認識しているとしたら、 同じ絵を見ているようで、違うものを見ているわけですから会話は成り立たないのです。 このギャップを埋めるには、「相手の関心に関心を向ける」以外に方法はありません。 「相手の関心に関心を向ける」ということは、このメルマガでも何度となくお伝えしてきた共感という姿勢です。 自分の認識や意識を一旦棚上げして、相手の見方で事象を見ることが共感なのです。 子どもが部屋でゲームをしている姿を見て、 親:「お母さんが何度も勉強しなさい!と言っているのに、何であなたは勉強しないの!」 子:「わかってるよ!」 というやり取りは、親の見やすい視点でとらえているのです。 これを、共感の視点で捉えると、 親:「今、勉強していないようね。あなたのことだから、今勉強しなきゃいけないことは十分わかっていると思うわ。    今、勉強していないのは、何か困っていること、問題があるのかしら・・・?」 子:「やらなきゃいけないのは、わかっているけれど、難しくてやる気にならないんだ」 親:「やっぱり、やらなきゃいけないことは意識していたのね。    確かに、難しい問題だとやる気にならないわよね。もし、よければ、お母さんが少し教えようか」 子:「本当!助かる!でも、お母さんにわかるかな~、結構難しいよ」 親:「そうなの、それじゃあ、一緒に考えましょうか」 子:「うん!」 親(先生)の視点で、ネガティブな感情むき出しに怒ることは簡単ですが、 子どものやる気を伸ばしたいのなら、まず共感の姿勢で臨みましょう。 どうしても叱る必要があるのなら、その後でも遅くはないでしょう。 是非、子どもの視点に立ち、子どものやる気を引き出しましょう!

ブログ全文を読む
検索項目を選択
現在地から探す
地域から探す
路線・駅から探す
オンライン塾から探す
条件で検索