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いやあ、何が起きても気分はへのへのかっぱ、というわけにはいきません。 こと、教育活動とは未来への投資なわけですから、 それにかかわる問題は、未来を生きるつもりの人間であればみな、無視できないんですよ。 「全体の奉仕者」たる学校教員にその自覚があるのか、はなはだ疑問ですがね♪ https://onl.la/5cZgMUy このニュース、どうお感じになりますか? まあ、ソースが朝日(笑)なので、書いてあること全部ウソ☆なこともありえますが とりいそぎ、だいたいほんまのことを書いていると仮定して話をすすめましょう。 思ったより長くなったので、 先に結論をいったんここで書いておきます。 これこそ、学校教員が立ち上がって声を上げるべきでしょうよ。 「わたしたちは聖職者だ!」 「わたしたちの仕事は素人がやすやすと入り込んでいいものではない!」 「わたしたちに任せて! 未来はわたしたちに託された!!」 などと高らかに謳ってみてくださいよ? ね? 日本教職員組合さん♪ よろしくお願いしますね~ 以下、本文。 これ、学校教員の「サボりたい」という夢が詰まっていますね。 まだサボり足りないらしいですよwwww 学校教員は忙しい??? 当たり前です♪ 「全体の奉仕者」なのですから。 で、ロクに勉強も教えられていないのに、さらにさらに とっても大切な教育活動である、部活動までも 教員免許ももってない、たとえば発達心理学をかじってさえもいない the☆ド素人に任せようってんだから、じゃあ、きみたち、いったい「何」をしているの? 答えられるもんなら答えてみろよ(*^^*) そもそも,教員というのは,各科目の内容を教えながら道徳を教えるのが仕事なのです。 たとえば,国語の先生は,国語の教材を通じて人の心の有り様を教える。 数学の先生も,数学という科目から,論理性を教える。そういう、心や論理などのことを総じて道徳というのです。 どの教科の先生も,自分の授業を通じて,よりよい社会生活を送るための道徳教育をすることになっているのです。 そもそも教員の仕事とは教科指導ではなく、そういった道徳教育、つまり、 むしろクラス運営だったり,部活だったり,あらゆる教育活動を通じて行うものなのです。 教員免許ももってないthe☆ド素人にこれを平気で任せるとか、自分の仕事に誇りがないのか、覚悟がないのか、 サボりたいのか。これらのどれでもないというのなら、名乗ってみろ。 つまり部活を無理に担当させられて,本来の業務である教科指導の準備ができない、とでも思っているのなら そもそも! 本来の業務を勘違いしているのです。てめえら、教員免許をとる課程で大学で何を学んだのだ? お? 本来の業務が教科指導だと思っている時点で,教員免許をはく奪しましょう。未来のために。 それに加えて、その教科指導すらロクにする能力かやる気、あるいはその両方もないくせによ。サボることしか頭に無え。 教員も労働者だから,ちゃんと1日8時間勤務で,週40時間労働だというのはどこのバカが言い始めたんでしょうね。 そのへんの会社員とは全く次元の違う仕事をしているという誇りと自覚を持ちなさい。 土日も部活指導などで勤務するのは当たり前。 いつでもどこでも,学校の先生になったのだから常に先生たれ。 教員は,24時間いつでも教員であるべきであって,勤務時間内だけ教員なのではないのです。 そして,報酬は児童生徒の明るい未来! これに異議を唱えるようなヤカラは、教員になるな! もしくは退場せよ! と、熱くなりすぎましたが… みなさん、「教員は忙しい」とかいうマスゴミの洗脳から放たれてください。 たとえば、とあるマスゴミ、まあ朝日(笑)なんですが…の記事をごらんください。 https://onl.la/GWTgA2E ここに書かれてあることを読んで、どう感じましたか? ①子ども同士のトラブルについて、当事者の家庭に電話で説明し、謝罪。 ②運動会の準備に必要な作業についての打ち合わせ。 ③遠足の書類づくりと手配のための電話かけ。 ④子どもたちに配る予定表の作成と印刷。 ⑤校内向け時間割の修正や印刷。 ⑥テストの採点と記録……。 ①これ、一年に何回もありますか??? ②③これら、一年に何回もありますか? しかも、②と③が同時期にあるんですか? へ~( ..)φ ④へ~ 月一回、必ず毎月ホームページに上げるということができるようになってから言えば? ⑤時間割の変更って学期のはじめだけやろwww なにこれ? ギャグ? ⑥とうとう、これ言う? アホか。やれ♪ せめて、テストした、その翌日には採点済みの答案を返却して、 その採点にミスがない、という一年間を過ごしてみてから言ってくださいね~ おぼっちゃん♪おじょうちゃん♪ これらぜんぶが、同じ日に起こるのですか? んなわけあるかw もう少し計画的にお仕事しましょうね~ 先生たちは「忙しい,忙しい」と言っておけば,世間が同情してくれて自分たちは安泰なのです。 朝日(笑)ごときの報道にだまされるのもアホですがその記事のように「忙しい」フリする先生たちもずるいのです。 そんなに同情が欲しいんか? さて、いくら「サボりたい」からって、大切な教育活動を、the☆ド素人に放任するという暴挙について みなさんは、どうお感じでしょうか? 思えば、私が中学生だったころ、ALTとかいう、 単純でくだらないことがきっかけで雇われたであろうthe☆ド素人が 教壇に立ってましたけど… あれ、なんすか?w 教員免許ももってない、発達心理学をかじりもしてない、ただ英語をしゃべるだけの人。 なんで、そんなやつに教壇に立つ資格があるん?www 子どもに道徳教育できるん?  ただ、口から英語という音声が流れる、たったそれだけで…(じゃあ、CDでいいしw) 教壇という聖域を汚すんじゃないよ、 と、私が中学生だったころから、もうン十年も思い続けています。 教員の方も、「教壇」という聖域に立つ、というプライドがないのかね、ほんとに。 かんたんにthe☆ド素人に明け渡すんじゃないよ。まったく。 さて、その部活っぽいなにかを提供してくれる、学校以外のどこかの誰かは 教壇に立つ資格を有する者なのでしょうかね? 「教壇に立つ資格を有する者」ではないのだとしたら、これは恐ろしいことなんです。 どうして教育のプロではない近所のおっさんおばはんに我が子を預けることができようか!? まあ、くもんに預けてる親御さん多いから、できてしまうのでしょうけど? これこそ、学校教員が立ち上がって声を上げるべきでしょうよ。 「わたしたちは聖職者だ!」 「わたしたちの仕事は素人がやすやすと入り込んでいいものではない!」 「わたしたちに任せて! 未来はわたしたちに託された!!」 などと高らかに謳ってみてくださいよ? ね? 日本教職員組合さん♪ よろしくお願いしますね~ 笑顔ウルトラZな未来が来ますように(*- -)(*_ _)ペコリ おわり。

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…不要でしょう。というか、こいつこそ諸悪の根源、勉強の大敵! 学力向上を妨げるためだけに産まれたとしか思えません。 消しゴムを使ってなんかメリットあります? ただただ、腕が疲れて机の上にゴミが散らかっただけ。それ以上、何も産んでません。 生産性皆無! むしろ消す作業をしている時間、その消しカスを処理する時間に、英文和訳の一つ、方程式の一つ、できるでしょうに。 勉強を進めていくと間違うところはたくさんあります。計算などで間違う、スペルをうろ覚えで書き間違う、勘違いして書き損じるということはよくあります。当然のことです。 ただし、ここで消しゴムを使うと、正しい答えで簡単にリセットされてしまい、その間違いがなぜ起こったのかもよく考えないうちにリセットされて、心に残らなくなってしまいます。仕上がりがきれいで見やすくなるというメリットはありますが、二度と間違わないように心に残すという意味で、消しゴムは使わないほうがよく身につくものです。 消してしまっては確実にモノにするのはかえって遅くなるということです。消しゴムは使わないようにしましょう。 むしろ、自分のミスの傾向を把握できるようなノートこそ有効なのです。 たとえば、英語の問題をこなしているときに、一度はでてきた、一度は覚えたはずの単語や熟語をミスったときほど悔しいことはありません。 そのような場合、確実にモノにするには、間違えたものだけを記録する「ミスった集」というノートをつくることです。とにかく意味のあいまいなもの、スペルのうろ覚えのもの、片っ端から書き留めて、週に一度は開いて覚えなおすというものです。覚えたものは跡が残るように一本線で消していきます(消しゴムはだめ)。 こうするとどんどん覚えていく楽しみも味わうことができます。 計算ミスにしてもそうです。 計算を間違えた行があったとして、すぐ下の行に改めて書き始めればいいのに、わざわざ消して書き直す。 しかもその際に、必要な数字まで消してしまったり、消し方が不完全でプラスマイナスの符号を見間違えたりと、計算ミスのオンパレード。 そして、中には間違えることが恥ずかしいのか、書き直して、正解を書いてしまったりして、ノートに○をつけて終わりにしちゃう子もいます。歯痛いのに歯医者に行かないみたいなもんですね。 試験勉強って、間違えたところ、知らなかったところを明らかにして、そこを集中的に徹底反復することにより、どんどん穴をふさいでいくものです。結局、間違えたところを放置したままだと、必ず同じ間違いを繰り返します。 そして、解いて間違えたところはテキストに必ず×印を残しておくことが必要。かならず解きなおします。 間違えたところに目をつぶり、正解を写しておしまいというのでは単なる作業ですよ。 消しゴムの使用とはとどのつまり、ただただ、腕が疲れて机の上にゴミが散らかっただけなのです。 それ以上、何も産んでません。生産性皆無!意味があるとしたら、腕の筋トレか? 勉強中に? 計算ミス、スペルミス、こういった、もったいない失点こそ、あなどるなかれ。 消しゴムなぞ一刻も早く捨ててしまいなさい。 こういうところから、勉強の仕方そのものの学習が始まります。

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さて、今回は文系理系とかいう摩訶不思議な概念について少しお話しようかと。 この分け方には、ずっと違和感があるのですよ。 たいがいの場合、国語社会を文系、理科数学を理系とカテゴライズしますよね? いや、これ、おかしくないですか? 国語と数学って同時に得意か苦手かになるはずだし、 理科と社会って同時に得意か苦手かになるはずなんですよ。ふつうに。 いちおうちなみに、私自身の学生時代は、国語数学が得意で理科社会は不得意でした。 これですね、国語も数学も「論理」「情報」なんですよ…扱う文字が漢字が多いか数字が多いかぐらいの違いしかありません。 根本的な脳の使い方は、国語と数学ではほとんど同じなんです。それは紛れもなく「論理」ですね。 数学に割り振られている、図形の合同証明なんか典型的ですね。人を納得させる条件を整えるなんて、 「情報」そのものじゃないですか。それだったりあと、数学Aで学ぶような、集合の話とか必要十分の話とか あれ、「論理」以外のなにものでもありません。国語でよくある選択問題、あれは、 「この中ではこれが一番正解に近い」を選ばせています。これ重要です。この 「この中ではこれが一番正解に近い」の概念の習得がまさに、「論理」「情報」なのです。 本来「論理」や「情報」とでも呼ばれるはずの科目を、漢字が多いか数字が多いかでなぜか二つに分けてしまったのが 「国語」と「数学」の正体です。かたっぽ得意でかたっぽ苦手だというのは脳の仕組み的にあり得ません。 このように、おおよそ「考える」科目である「国語数学」に対して「理科社会」は「覚える」科目です。 「理科社会」の「覚える」量は国語数学の比になりません。膨大です。ようは、「覚える」という脳の使い方が得意なのであれば 「理科社会」は同時に得意になるはずでしょう。いうまでもなく「考える」が得意なら「国語数学」は同時に得意になります。 つまり、脳の使い方の違いとして、そもそも、文系理系どっちが得意? という質問は成立してないのですよ。 こんな摩訶不思議な質問、答える気失せます。 「考える」と「覚える」どっちが得意? という質問が成立します。私自身はたまたま前者ですってだけの話。 ここまで読んで、英語は? とぼんやり頭に浮かんでるひとも一定数いると思いますが、 詳しくはまた次の機会に話してみようと思いますが、 「英語」は「実技科目」です。つまり、本来、音楽美術体育家庭科の仲間なんですよ。 もうそこから狂ってるんですw とりあえずこの話は今回はここまで。 さて、現実的な話もつづけてみましょう。 多くの高校1年生はこの時期になると文系か理系かの選択に迷うでしょう。 大昔の幻想を引きずる大人たちは、 理系の方が就職が有利だから などと得体のしれないことを言っているし。 しかしよくよく考えてみましょう。 そもそも高校1年生が大学を卒業し就職をするのは7年後であることを。 そして、大人たちが就職活動したのはもう30年も前の話であることを。 私はこう思います。 大切なのは「大学で何をするか」かであって、理系か文系かの問題ではない。 例えば、理系は「地理」なんて誰が決めたのであろうか? 柔軟な学校は、理系でも日本史・世界史を選択できる。 もっといえば、そろそろ文系・理系の選択はやめて、「授業選択」になりませんかね。 将来の就職のためなどというカスみたいな理由で文系理系を選択するのはおよしなさい。 そもそも文系理系を選択するというのは、 指定校推薦が取りやすいからとか就職しやすいからとかいう、 そういうカスみたいな観点から考えるものではない。 そもそも大学というのは就職予備校ではない。 就職のことを言えば、企業側だっていつまでも大学名だけで採用したりすることによって、 厄介な人材が会社の中に入ってくるということも痛いほど知っているし、 大切な事は、どこの大学か以上に「大学で何を学んだか」である。 「名前」だけで選ぶ時代も選ばれる時代も、そんな時代が間違ってたんですよ。 大人たちもほんとはもう、そんなことにくらい気づいているでしょう。 でも、気づかないフリをしているのです。潜在的な意識のどこかで 自分の学生時代が間違っていたと思いたくないんでしょうね。 未来を担う子どもたち、つまり国の宝のために、現実的にものを考えられる大人になりたいものです。

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『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。 されども今廣く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、 貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、 其有樣雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。 人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。 ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、 無学なる者は貧人となり下人となるなり』 ご存知のかたが多いと思いますが、 いまだに騙されている人も多いようなので、はっきり言っておきたい。 福沢諭吉は人の平等を説いたかったのではない!! まるでテレビの編集みたいですね… ひどい切り取りかたをしています。 【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。】 ここまでがワンセンテンスですよ。 (と云へり)は意図的に操作され消去されたのでしょうね。荒唐無稽。 「云へり」と書いているのだから、筆者本人のことばではございません。 「と言われている」という意味です。 さらに言えば「天は」に注目しましょう。 ここ、「人は」とか「世間は」とかに勝手に読み替えている人のなんと多いことか。 つづきの文章をへいたんな言葉に置き換えると… しかし今世の中を見てみると、賢い人と愚かな人がいる。 また、貧しい人や裕福な人、身分の高い人と低い人がいて、 その有様は雲泥の差だ。どうしてだろうか。 ひとは生まれた時は平等である。 学問をして、物事を知る人は偉く、お金持ちになる。 無学の者は、卑しくて、貧乏になる。 となります。 そもそも、この著作のタイトル「学問のススメ」ですよ? 平等なんかこれっぽちも説いていません。 勝手に勘違いした、もしくは、勘違いさせられた。 勘違いするように仕組まれたとでも言うべきですね。 だって、「云へり」は明らかに不自然に抹消されていますから。 生まれたときは皆平等かもしれないが、その後は学問によって人生がわかれる。 これこそ福沢諭吉の言いたかったことである。 ここまででもう結論ですが、蛇足として 福沢諭吉の銘語録をならべておきましょう。 自分の考えだけで、他人を評価してはならない。 自由と我がままとの境界は、他人に迷惑を掛けるのと掛けないのとの間にあります。 人生において偶然に得たものは、また偶然に失うこともある。 学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。 農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。 学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。 …ドキっとする、ハっとする人、多いのではないでしょうか… 『学問のすすめ』には 現代のわたしたちにも共通する、大切な教えが説かれています。 一度手にとってみてもいいかもしれませんね。

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巷では、子どもたちが、こんな呪文を唱えるようですね。 「習ってない」 =「だから知らなくてもいい」とでもいいたげですね。 うちの教室の塾生は、こんな呪文唱えません。私がマホトーンを使えるから。 少し話がそれるようですが… わたし、あれ嫌いなんです。 あれというのは、電車に乗るときの駅でのアナウンス 「ドアが閉まります」 =「誰かが挟まって事故っても責任はドアにあります」とでもいいたげですね。 (何年か前から地下鉄では「ドアを閉めます」と言うようになりました。ナイスです♪) さらに蛇足。 「えんぴつどっかいった」 =「勉強が始められないのは道具がないから」とでもいいたげですね。 これ、うちの塾生は「~をどこかにやってしまった」と言います。 私がそう教育しているから。 要するに、私が言いたいのは… 人のせいにするな! です。 習ったか習ってないかなんかぶっちゃけスーパーどうでもいいのです。 「だれかが」言ったかどうかではなくっ 「自分が」教科書を読んだか読んでないか、です。 だから、うちの塾生は、問題集やってて、 「お。なにこれ、さっぱり知らないぞ」となった場合、こう言います。 「先生、教科書(辞書)貸して!」 入塾したての生徒たちは、 {「自分が」学ぶ/調べる/覚える} ↑これをそもそも教わってない指導されてないケースがほとんどです。 これを伝えずに何が教師か。教師の師は師匠の師ですよ? 正直、考えられへん!!(きむにい風に) で、教科書をその巻末にあるさくいんのページを開いて渡してみると…おおむねこう言います。 「え?こんな便利なもんあったんや!!」 そうなんです。そもそも「さくいん」の存在すら知らないです。 だって、{「自分が」学ぶ/調べる/覚える}これをそもそも教わってない指導されてないから。 そして、 ・いままで自分は「教科書を開けて」、とだれかに指示されなければ開けてもいないという衝撃の事実。 ・「さくいん」というスーパー便利なものがある。 ・ほとんどのことは教科書に載っている。 ・つまりわざわざまどろっこしい講義など聞かなくてよい。 ・つまり本来学習とは一人でできるもの。 ・とはいえ教科書読むだけでは解決しない難問がたまにある。 ・とはいえ覚え方のコツみたいなのが知りたい。 ・とはいえ家で学習する気にはならないから集中できる環境がほしい。 と彼ら彼女らの頭の中に革命的な気づきの連鎖が起きます。そして目覚めます。 かの阿久津まや先生も高らかに謳ってましたね。「いいかげん目覚めなさい」 {だから}塾通いするんですよ。知識なんか本屋さんで3000円あれば買えますから。 なんやったら図書館に置いてれば無料ですから。 と、いうことで。 うちの塾生は「習ってない」などという不思議な呪文を唱えることは無くなります。 決して人のせいにしない。自らの判断や言動の結果として起こる事実を責任をもっと受け止める。 そんな「生きる力」を育てています。

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あなたの小学校は大丈夫ですか? ↑こんなこと教わってませんか? みなさんは、将来、どんな職業に就きたいですか? 人気の職業の一つに動画配信者というのがあります。 で、動画配信者としてン十年メシが食えるような人ってどんな人でしょう。 結局、何でもいいから自分の得意なことや好きなことをトコトン追求している人じゃないでしょうか。 そして,それをYouTubeなどで披露しているというだけの話であって…… だって、「何も持っていない人」の映像なんか、誰も見てくれませんから。 ということは、動画配信でメシを食い続けたいのなら、 それだけの「なにか」を見つける努力は怠れないのですね。 さて,YouTubeにて、長嶋一茂氏がよいことを言っていたので紹介します。 少年野球でどう指導するかという話なのですが…… まず断っておくのが,子どもにウソを教えたら,それをずーっと持っていくので「怖い」という考え。 このことを現場の小学校教員方はきちんと分かっているのか、はなはだ疑問なんですけどね。 ゼロ除算の商は0と押し付けるなど,意味不明な とんでもないバカが教壇をえらそうに闊歩しているらしいですが。(ゼロで割ってはいけません!) 高校生にもなれば,その教員が頭悪いだけだと気づくものですが…、こと小学生指導はホントに怖いですね。 それで,何を指導するかという話でしたね。 バッティングに関しては一つだけ。「苦手だと思うコースを想定して素振りしなさい」 たいていの場合、「100回素振りしなさい」と言うと, 真ん中あるいは自分の振りやすい軌道でしか振らないのです。 外角低めを想定してとか,インコースをどうやって打つかなど振りながら考えていないのです。 振りやすいところを100回,1000回やっても,それでは試合で打てるようにはなりません。 おっしゃる通り!! そしてもちろん,これは勉強にも言えるのでここに書いているわけです。 生徒諸君に何時間勉強しなさいと言ったところで,自分の好きな教科ばかりやる場合があります。 得意教科を伸ばすのは結構なことですが,多くの場合,その得意教科だけでは渡っていけないのです。 苦手な教科,あるいは苦手な分野をいかにやるか。「何時間勉強しなさい」とか、とにかく大量の宿題だけ出しておく、とか、学校教員とか、大手塾とかの常套句/手段って、要は指導する側が頭使ってないんですよね。 ユニバでは学習指導のプロが、適切な内容の適切なレベルの適切な量の演習課題を与えているので、 問題ないのですが、たとえば,大手塾だと,本人が(あるいは保護者が)受講したい講座を取らせたりします。 最悪の場合は,塾側がお金もうけのためだけに取らせたい講座を強く勧めるなどという場合があります。 自分に必要な練習が何かをちゃんと分かるにはいろいろな経験と知識が必要で,通常、生徒には難しいのです。 指導者に恵まれなかった野球少年が素振りの回数だけをこなすのと同様に多くの中高生の勉強も…  指導者に恵まれなかった場合には、それ頭使ってやってますか?状態に陥っている危険性があります。 要は,いかに試合/試験を想定して練習/演習するか。 ここに、本来、教師が生徒に伝えるべきことが詰まっているのではないでしょうか。 少なくとも、私はそう思って日頃、指導しています。

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私自身が中学生だったころから、ほんっと変わらない学校英語… 世間では、覚えるべき単語数が増えただの、どうでもいいことでバカ騒ぎしていますが… そんなことは枝葉末節。本質とはなんら関係ないのですよ。 つめこみ?ゆとり? んなふわっふわしたこと喧々諤々しているヒマがあるなら 指導すべきことの内容の精査に時間を割きなさい。 さて、指摘したいことは山ほどありますが この場では一つだけにしときます。 保護者のかたがたも、きっと、こう習った覚えがあるのではないですか? 「名詞の単数形の前に着けるaは、その名詞の発音が母音から始まるときanとする」 これね… 逆なんですよ。 あのですね。単数形の前につけるのだから、それは「1」であることを表すということですね。 「1」は英語で「one」です。 「an」と「a」どっちのほうが「1」の発音に近いですか? 当たり前だけど、「英語」は人間の「言葉」です。記号ではありません。 ですので、言葉の規則というのは総じて「話しやすいかどうか」で決まるのです。当然なんです。 日本語のルールとしても例えば、「泳ぐ」を過去の意味にしたければ「泳ぎだ」ではなく「泳いだ」になりますね。 なぜ、「ぐ」なのに「ぎ」ではなく「い」になるか。「そのほうが話しやすいから」に決まっているでしょう。 「走る」も同様に「走りた」ではなく「走った」になりますね? はじめっからそういうルールで言葉を作った人なんか存在しません。 話しやすいように話してたら、そういう規則性が生まれてきただけです。それを体系的にまとめたのが「文法」です。 こと「文法」という用語を使うと、脊髄反射で強烈な拒絶反応を示す残念な方々もとくにこの国には多いですが… ルールが先にあってそれを学んでから話しはじめるのではありません。 話しやすいように話していたら自然とそうなってきた決まりを整理しただけです。 つまり、「話せる英語」を学ぶのと「書ける英語」を学ぶのと まるで両者にとても大きな乖離があるかのように、前者を学ぶべきだ~ と喚いている方々は…… この先は言うのはやめておきましょうか。 さて、閑話休題。 つまり、もともと、一冊の本のことを、one book と言っていたのですよ。ふつうに。あたりまえすぎる。 でですね。日本語でも「わたし」のことを「あたし」と言う人、いますね? 「watashi」→「atashi」 はい。wの音が抜けましたね。 「WAN」→「AN」 はい。wの音が抜けましたね。 と、いうことで an book と言うようになりました。 さてどうでしょう。これ、声に出してみてください。 そうですね。発音しにくいです。発音しにくいから、どうなるでしょう。 と、いうことで、a book となりました。 発音しやすいように文字(音)が抜け落ちるなんてのはよくあることですよ。 話しているうちに、自然にそうなるから。 急いで喋っていると「~するのです」を「~するんです」って言ったり 「すみません」のこと「すいません」って言ったり、日本人もみんなしてるじゃないですか。 ほいで! うしろが、じゃあ、たとえばappleなら、 この場合は、どっちが言いやすいですか? nがのこっていたほうが後ろの母音と繋がってむしろ発音しやすいですね。 だから、後ろに母音が続くときは「nが残る」んです。 そうです。「nがつく」ではありません。「nが残る」のです。 「aは後ろが母音のときanになる」は大間違い!! 「anは後ろが子音のときaになる」が正解です。 おっそろしいことに、ン十年前からあいもかわらず学校教員も なんと教科書,参考書にいたるまで前者の説明のオンパレード。 どうでもいいことにバカ騒ぎしてないで、こういうところを 有識者(笑)たちには議論(笑)していってもらいたいですね。 ねえ? 識見を有する者(笑)を名乗るのだったらね♪ さて、うちは「塾」ですから。 当たり前のことを当たり前に生徒たちに伝えています。 当たり前のことを当たり前に子どもたちに伝えていける、 希少価値の高いサービスをこれからも提供してまいりますので 塾生保護者の方々はよろしくお願いしますm(__)m 今、塾を探していて、このブログにたどり着いている保護者のみなさまにあたりましては ぜひ、フリーダイアルにお問い合わせを! 0120-588-761 お待ちしていますm(__)m

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今回は、大学入学共通テストの英語について思うことをだらだらと。 以下、ご確認ください。センター試験と大学入学共通テストの大問構成の比較です。 【センター試験】 Ⅰ.発音・アクセント Ⅱ.文法・語法 / 文整序 / 空欄補充など Ⅲ.不要文選択、会話空欄補充など Ⅳ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅴ.長文(物語など) Ⅵ.長文(評論文など) 【大学入学共通テスト】 Ⅰ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅱ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅲ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅳ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅴ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅵ.長文(資料や図、データの読み取り) で、なんで、こんな偏った出題にしたか。 それは、「英検とかTOEICとかの成績を大学に提供することで、それらをふまえて英語の能力を総合的に判定するので、 こと共通テストにおいては情報処理能力を計り、そのたの試験でほかの能力を計ろう」という意図があったみたいですね。 そして! その「英検とかTOEICとかの成績を大学に提供する」のは、「やっぱやーめた」なんですよ。 理由? 「めんどいから」 以上。 うん。まあいいんですよ。「やっぱやーめた」自体は。 だって、それらの試験を受けるのにも金はかかるわけですし。 でね? じゃあ、なにが問題か。 このブログの読者の皆様は聡明でしょうから、お気づきでしょう。 そうです。「やっぱやーめた」のにも関わらず、 「出題の構成は変えません!」とのことで、実際に変わらなかったんですよ。 すげえでしょ?www THE☆理不尽 理由? 「めんどいから」 以上。 そうして、「発音・アクセント」の出題はキレイさっぱりなくなりましたとさ。ちゃんちゃん。 仮にも人の学力を計ろうとする側が、論理の筋すら通さないのですね。 きっと国語や数学の苦手な人たちが多いのでしょう。かわいそうに。 こいつらこそ、もっかい中学校から出直してくればいいのに。 あ、間違えた。母の腹から出直してくればいいのに。 さて、「発音・アクセント」の出題を消滅させるという、忌まわしき暴挙! 極大消滅呪文メドローア! あのね? 英語って「言語」ですよね? ま! ず! 「音」なんですよ。スーパーウルトラデラックスハイパー当たり前の話です。 「聞く→しゃべる」よりも先に「本や鉛筆を持つ」赤ちゃんに出会ったことのある人は いますぐ名乗り出なさいwww そんなやつおらへんやろ チッチキチー 出題されないからといって,発音やアクセントはわからなくてよいのでしょうか? そんなわけないやんwwww 「音」で聴いて,「音」で伝えて、理解するということ。 根本的に大切な「音」をおろそかにして,言語の学習は成立しないのです!  カウカウが踊り出すくらいに当たり前です。 今時の電子辞書や英語学習アプリは英単語の音声再生機能がたいがい、ついていますよね。 電子辞書やアプリなんてけしからんとかほざいている紙の辞書教に入信している方々は、 どうぞそのままその硬い枕と眠っておいてくださいm(__)m 塾生諸君もスマホに”ことまな”をインストールしてますよね? 実際に音が聞けるわけですから,もっと音をしっかりと覚えましょう。 で、それでおわりじゃないよ! それを「真似して発音する」をしてください。 脳の仕組みの問題です。「自分が発音できない音は聞き取れない」 そして発音できるようになったら、次は、”発音しながら書く” ただ黙って何百回も書くよりも、たった3回程度、発音しながら書く(とさらに同時に頭の中では使い方を思い浮かべる) さすれば、英単語の暗記ごとき、さほど苦手意識をもつものじゃなくなるよ。 「音」と「意味」と「文字」を同時に覚える練習方法なのだから。 英語が苦手だというのは、要するに、この三つが繋がってないのですよ。 これらが三位一体になったとき、人は、それを、「言語習得」と呼ぶのです。 小学生のころの漢字ドリルも、声に出しながら意味を思い浮かべながら書き取りに励んだ子たちは、やっぱり漢字テストで好成績でしょう。 それなのに、「ただ黙って何百回も書く」の類の宿題を出す、学校のアホ丸出しの英語教員は今すぐ退場なさい。迷惑きわまりないwww じ・か・ん・の・む・だ! さて、聡明な学齢期の生徒諸君、および、その保護者様がた、 言語は「音」から! そのスーパー当たり前の真実に気づかない、いや、気づいているのに気づかないフリして、 それに逆行する言動をとるおバカさんたちに振り回されないように。 正しくお勉強しましょう。

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結局のところ勉強って、社会も理科も数学も 要するに、全科目を貫いて 「聞かれたことに答える」 たったこれだけのことをずっと練習をしているだけなんですよ。 塾生にもよく言うのですけど、 「今日何曜日?」と聞かれて「24日です」と答える人と一緒に仕事したいと思うかね?、と。 そんな子がそのまま大人になったとしたら、 テレビに出るぐらいしかやれる仕事のこってないですよね。 少なくとも私はあんな見世物小屋の中には入りたくないです。 入りたいなら別にいいですよ、勉強しなくても。あれだって立派な仕事です。 私は差別しているわけではなくて、私はイヤです、と言っただけ。 ただ、もちろん選択肢は多いに越したことはないので、 見世物小屋に入ってもいいのと、見世物小屋にしか入れないのは 次元が違いますよね? 職業選択の自由なりなんなり、~の自由は 公共の福祉に反しない限り認められますから、一定の能力のない人が 普通の仕事をするのは公共の福祉に反しますので、普通の仕事をしたい人は勉強しましょう。 その”一定の能力”といま私が呼んだのが 「聞かれたことに答える」ではないでしょうか? たったひとつ、これを、科目を変え分野を変え、いろんな方面から身に着けていく。 まさしくそれこそが、義務教育なのではないかと私は思っています。 たとえば理科の問題でこんなのがよく出る。 問題「反射はどのようなことに役立っているのか,例をあげて説明しなさい。」 たいていの入塾してまだ浅い生徒の解答はこうなる。 「熱いやかんに手をふれて,思わず手をひっこめる。」 これで解答したと本気で思っているのだ。 なんやったら、ときには、大人でさえ、え? これ正解じゃないのとまで言いのける始末である。 これが塾通いをすると、きちんと解答できるようになります。 使命感と熱意のある講師が指導するから。 つまり、裏を返せば、学校だけに任せていたら、そうならない、ってことです。 たいてい、使命感と熱意のある講師がそこにいないから。 私はモーニング娘世代なので、 日本の未来は世界が羨むと少年時代によく聞いていたが、あれから20年ほどがたち、 これが”あの頃の未来”の日本の現実である。 今からさらに20年後のこの国が、少しでもマシになるように、 日本の未来そのものを創っていく、それが教育者たるものの責務です。 残業代よこせとか裁判所に泣きついているようなヒマはございません。 却下されとるしw 使命感と熱意のない者は現場から去れ! 明るい未来を手に入れるためには、 君らがそこにいてはいけないのだよ。よそいけ。

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ちらほら生徒たちから,「今までのどの先生よりも一番わかりやすい!」と言ってもらえているようである。 それもとくに国語の授業のことらしい。 まず、国語はとくに、学校と塾では授業のクオリティが違いすぎる。 学校の授業はあらかじめ生徒が持っている教科書の文章を題材にしている。 定期考査もその文章が出てくる。つまり、学校の授業は、何度も読んだことのある文章を使って授業をし、 その授業をした先生がテスト問題を作るため、ようは、学校の先生のやりたい放題の自由wwwな解釈が横行しているのである。 論理的に正しいかどうかよりも学校の先生の話を、「素直に」聞いていたかどうかが試されるのだ。 ほら、学校の先生って、好きでしょ。「素直な子」が…  たとえ、それが論理的には疑わしい解釈であっても、学校の先生の言うことはすべて正しいのだw 一方,塾では入試を意識しているので,初見問題でいかに答を探すかを指導する。全くアプローチが違っている。 そして,入試問題の答を説明する方が明快なのだ。 テストである以上、当然なのだが、答は「ひとつに決まる」ように問題が作られているからである。 (ただし、学校のそれはその限りではない。不思議なことに。) あと、問題集や模試などの解説文は生徒に寄り添っていないことが多い。 納得できる根拠がきちんと書かれていない,はたまた解説文そのものが難解で読解できないw場合が多い。 わたしの授業は,そういう意味では納得感があるので「わかりやすい」と感じるのだろう。 ところが,答の探し方を聞いて「納得」しても,それが自分で探す力にならないといけない。 納得した時点では,実はその文章は既読文であって,自分で探さないといけないのは 「初見の文章」を「時間内」に「自分ひとり」で という三重のハードルがあるのだ。 初見文を題材にした問題を時間内に解くための答の見つけ方をこの間も中3生に講義した。 シンプルな話だが,設問で扱われているキーワードを探すというやり方。 問題文を全部読んで,そこから答を探すのは時間がかかる。 設問の度に全部読んだりしていたら、dede~n アウト! そこで,設問を解く根拠にできる「単語」を問題文全体から探して, その付近から答を探すと圧倒的に速く見つけられる。 本当は,問題文全体でなくとも傍線部の前後だけで済むことが多い。 そういうのは練習しているうちにできるようになる。 国語って,勉強の仕方がわからないとよく聞くが,実はちゃんと訓練すれば一番点数が伸びる科目なのだ。 ただし,そういう訓練の前提になるのが,やはりなんやかやいうても語彙力! こればっかりは「実力」がそのまま反映されてしまう。 設問を解く根拠にできる「単語」自体そのものを語彙力がなければ見当をつけられない。 なにかにつけて、すぐ「ヤバイ! ヤバイ!」を連呼しているばかりの、そこのアナタ! ちょっと一週間、「ヤバイ」禁止を自分に課してみ? あと、今の子、知ってるかな? 「マジカルバナナ」(^^♪ 保護者の方に「何が言いたいの?」と言われまくっているそこのアナタ! いますぐ「マジカルバナナ」をググって、家族と遊びましょう!! (保護者の方々、懐かしみながら、付き合ってあげてくださいm(__)m)

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