ジュクサガス

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◇私たちは子どもに素晴らしい人間になってもらいたいと思っています。 しかし、その思いが強ければ強いほど、それが裏目に出てしまう場合があります。 子どもに理想を求めすぎて、子どものセルフ・エスティーム(自己重要感)を、 低下させてしまうことが日常的にあります。 ◇「こうなってほしい」「ああなってほしい」「こういう行動を取るべきだ」等々、 色々な要求を子どもに自然としてしまうので、子どもが出来ていないことがあると、 ついつい叱ってしまって、当たり前のことを承認することができなくなってしまうのです。 私は、このような理想を“暗黙の理想”と呼んでいます。 今回は、この“暗黙の理想”とはどういうものかを書きたいと思います。 ◇私が相談会などで“暗黙の理想”を説明する時によく出す例に、こんなものがあります。 ◇中学校の定期テスト(中間テスト・期末テスト)の1週間前に、 子どもにどのくらいの時間、家庭で勉強してほしいか、お母さん方に手を挙げてもらいます。 ◇すると、ほとんどの講演で、2~3時間が圧倒的に多いのです。 もし仮に3時間、勉強してほしいと思っているとすれば、 この3時間が基準となって、子どもの勉強時間を評価することになります。 ◇そういう評価基準が、私が“暗黙の理想”と呼んでいるものです。 こういう理想を無自覚的に持っていると、 普段全く勉強しない子どもが、30分勉強したとしても、 3時間(=180分)を基準に評価してしまうので、 全然勉強していない!ということになってしまうのです。 ◇子どもの側から考えると、30分でも勉強したのだから、このことを認めてほしいはずです。 しかし、暗黙の理想に無自覚だとそれが認め難いも のになって、マイナスの評価ばかりするようになります。 ◇下の会話例を読んでください。こんなやり取りがあってもおかしくない はずです。 お母さん:テスト前なのに勉強しないの? A君    :やったよ。 お母さん:えっ!?何分? A君  :30分! お母さん:何言ってるの?30分じゃ全然やったことにならないわ!もっ とやりなさいよ。 A君  :えっ!?分かったよ。やるよ。 (30分経過) お母さん:もう終わったの? A君  :えっ?!だって1時間もやったよ。 お母さん:何言ってるの?もう少しやりなさいよ。もう少し! A君  :なんで?!もういいよ。 お母さん:もう少しやりなさいよ。ここまでやったんだから。 (30分経過) A君  :終わった!もういいよね。 お母さん:切りが悪いわね。もうちょっとやったら?後30分ぐらい! A君  :なんで?もういいよ。 お母さん:何言ってるのよ。もうちょっとやれば、2時間やったことになる じゃない。頑張りなさいよ。 A君  :分かったよ。 (30分経過) A君  :終わったよ!もういいよ。休憩だ! お母さん:いつもこのぐらいやりなさいよ。 ◇結局、A君は、2時間勉強を頑張るのですが、暗黙の理想がお母さんには あるので、その理想に到達しない限り、A君の努力は承認されないのです。 ◇つまり、お母さんからは「頑張ったね」とは、なかなか言ってもらえない のです。暗黙の理想が高いと勉強に対する承認がなかなか行われなくなって しまいます。 ◇暗黙の理想を無自覚的に持っていると、当たり前にできていることに注目 する以上に、暗黙の理想を追いかけることになってしまい、子どもを承認す ることを忘れてしまいがちになります。読者の皆さんは、ぜひ、自分自身の 暗黙の理想に自覚的になってほしいと思います。

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◇コミュニケーションスキルの一つに リフレーミングというものがあります。 リフレーミングとは、「ものを見る視点を変える」、 「考える枠組みを変える」というスキルです。 子どもが悩んでいる時に、子どもの視点を少し変えて、悩んでいることを見てみると、 今まで悩んでいた意味合いとは違う意味合いが浮かびます。 そうするとちょっと元気になります。 以下の言い換えを例のようにやってみてください。   (例)臆病 → 慎重   1.落ち着きがない →   2.消極的 →   3.頑固 →   4.根暗 →   5.優柔不断 → ◇この5つの言い換えは、ほんの一例ですが、 1.「落ち着きがない」というマイナスの表現をプラスに言ってみると、 「活発」とか「活動的」ということになります。 こういうマイナスの枠組みをプラスの枠組みに転換することをリフレーミングと言います。 このスキルを自由に使いこなせれば、 私たちは、子どもたちを元気にしてあげやすくなります。 ◇子どもが浮かない顔をしている時、 自分のことを悪く思っている時(何て自分ってダメなんだろう!)や 袋小路にはまっている時にリフレーミングを使って、勇気づけます。 そうすれば、子どもも違った見方を自分にして、元気になります。 ◇例えば、子どもが、自分は頑固でしょうがいない人間なんだと思っているのを、 「いやあなたは信念がある人間なんだよ。だから、いろいろと悩むんだよ。」と伝えてあげるのです。 ◇子どもが何を求めているのか、その本当のところに心を使うことです。 子どもは、悩んでいる時、存在承認を求めているのです。 その承認をする一つのスキルが、リフレーミングと考えても良いと思います。 袋小路にハマった子どもの心を晴れやかにしてあげてください。 そのために、子どもとは違った視点を提供してあげること。 これが私たちにとって大切なことなのです。 『リフレーミングを使って子どもを元気にする!』

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中学1年生250人の半数超、理科の課題で同じ間違い …教諭の違和感の正体は生成AIの「誤答」 (読売新聞 3月6日) 〇東京都内の私立中で2月、1年生の半数超が理科の課題に対する解答を間違う事態が起きた。 原因となったのは、生成AI(人工知能)が表示した“誤答”。 食品大手会社がホームページ(HP)に載せていた記述を基に生成し、生徒たちが書き写していた。 男性教諭に記述の誤りを指摘された同社は、誤解を招きかねない表現があったとして修正した。 〇2月上旬。都内の私立中で1年生に理科を教える男性教諭(34)は、 授業で出した課題の解答をチェックしていて違和感を抱いた。 最初にチェックしたクラスで、多くの生徒がほぼ同じ文言で解答。 気になって調べたところ、6クラスで計約250人いる1年生のうち、半数超が同じように間違っていたことが分かった。 〇男性教諭が試しに、インターネットで課題を検索すると、原因はすぐに判明した。 検索サイトに搭載された生成AIが生徒の解答と同じ文言を生成し、表示していたからだ。 生徒たちに検索サイトの生成AIを使って書いたか尋ねたところ、各クラスで6~7割の生徒が手を挙げた。 ネットの利用は許可していたが、多くの生徒が、生成AIの回答について正確性を確かめずにそのまま書き写し、提出していた。 〇男性教諭は、生成AIがどの情報に基づいて回答を生成したのかも調べた。 出典として挙げられていたのは食品大手会社のHPだった。 (記事の文章の固有名詞等を一部変更しています)   ◇今回の記事を見て、驚いたことがある。それは、学校における宿題の意味や、 こどもが何かを学び取ることに対する批判的検討が、全くといっていいほどないことだ。 この記事の最後に、AIの活用に関して、注意喚起のコメントを載せてはいるが、それだけだ。 インターネットを活用して調べるのは良いが、それを鵜呑みにせず、 教科書等で確認して、課題を提出すれば良いという趣旨で、記事が終始している。 時代が変わったのだから、それで良いのだということらしいが、果たしてそうなのだろうか。 ◇子ども時代に、簡単になんでも手に入る経験をさせるだけでよいのだろうか。 何かを学ぶために、人間が、どのくらい自分自身と時間と他者とその学ぶ対象と格闘するのか、 この経験を子ども時代に奪い取ってしまって良いのだろうか。 ◇自分の思う通りにはいかないことや、努力しなければ手に入らないこと、 身につかないことを経験させることを、子ども時代にすっ飛ばしてよいのだろうか。 時代がどんどん変化する中で、便利になっていく中で、 あえて教育は、不便を経験させることではないか。 今回の記事で、私はこれからの世代の大人がどうなってしまうのか、ちょっと不安になってしまった。

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皆様、お読みいただきありがとうございます。 これを書いているときはちょうど新年度が始まった頃です。 桜も満開で、学校も始まりまさに「春」って雰囲気が街に溢れています。   桜といえば皆さまは「桜の木の下には死体が埋まっている」というフレーズを聞いたことがあるでしょうか? 私の中では非常に好きな言葉で桜の儚さと人を引き付ける魅力を上手くあらわした言葉であると思っています。 さて、このフレーズには当然元ネタがあります。 それは、梶井基次郎著「檸檬」という短編集の中の「櫻の樹の下には」という作品です。   この「檸檬」という短編集はぜひ読んでもらいたい作品です。 例えば「櫻の樹の下には」の冒頭は「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」から始まります。 この時代の小説で、「!」を使用し、しかもそれを冒頭に持ってくるセンスに思わず引き付けられて、 心を放しませんでした。   しかも、作品は日本文学史の中でもトップクラスに読みやすいものだと思っています。 なぜなら、梶井基次郎の作品は主人公の心境を主人公の目線で語り、 主人公の見た世界が書かれている作品で、今現在、主流の小説と非常に似ています。 また、主人公の心境を直接、小説にしたものなので出てくる言葉の多くが、 文語ではなく口語になっています。これも読みやすい要因の一つだと思います。 他にも詩的な表現が多く(それこそ「桜の木の下には死体が埋まっている!」のような) 思わず引き付けられますし、何より短編小説が多く、短い間にきれいに起承転結が はっきりわかるのが読みやすい要因だと思います。   実はこの作品、インターネットで無料で読むことができます。(違法ではありません!) 皆様は“青空文庫”というサイトを知っていますか? ここでは著作権の切れた作品を掲載しております。   梶井基次郎の「檸檬」。この作品はほぼ確実に図書館にもあります。 “青空文庫”を使えばスマホからでも読むことができます。  是非、皆様この「檸檬」という作品を読んで下さい。   以上、今回はおすすめの本を紹介しました。 読書は人生を豊かにすると思っています。 どんな本でもいいです。興味のあることや好きな芸能人のエッセイでも最初はいいと思います。 これから、雨が多くなる季節になります。是非、本を読んでください。 そして、お子様に勧める本は自分が読んで面白かった本にしてください。

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いきなりですが、問題です。 イラスト1~4の中から、正解として用意されているのだろうと推測されるものはどれか、選びなさい。 と、これ実は、とあるテストで実際に出題された英語科のリスニング問題なのですけれど。 そうです。リスニングの問題なのだから音声の放送を聞かないと、答えようがないのです。 それはもちろん、その通りなのですが…… 問題文をよく読んでください。「正解として用意されているのだろうと推測されるものはどれか」です。 お判りでしょうか? 解答は3でしょうね。おそらくは。音源も持っていないし、模範解答も所持していないので、知りませんが。 まあ、「出題者の意図」を推し量るに、3と断定してもいいと思いますよ。 もしもあなたがこの題材と選択肢の作成者なら、というところから思考をスタートしてみましょう。 四つの選択肢のイラストをよく見比べてみると、まず明らかに4が仲間外れですね。机の上に載っている本の数がちがう。おそらくは、①「机の上に一冊の本があります」とでも英文が流れるのでしょう。で、真っ先に4が外れます。そして次に、②「女の子は手を挙げています」とでも流れるのでしょう。そうして2が外れて、最後に、③「その本は閉じています。」と流せば、正答は3に決まります。つまり、②がよく聞き取れずに、2という誤答を選ばせる、同様に、③がよくききとれずに、1という誤答を選ばせる、そういう風に問題を作ったのだろう、と思われます。 と、いうわけで、音源を聴いてもいないし、模範解答も見た事ないですが、まあ、どうせ3ですよ。 音源を聴かなくても正答を選ぶことが可能なリスニング問題。日本の学校の英語教育ってそんなもんなので! 生徒諸君、テスト問題の向こうに、出題者の表情が浮かんでいますか? 試験中に、この問題を先生はどういうつもりで(ぼくたちわたしたちの何を測るつもりで)出題しているのだろう、とまで思考が及ぶようになれば、また一つ、勉強するのが楽しくなってきますよ。 どちみち、一年間のカリキュラムもロクに組めない残念な教師たちのつくったテストですので、 試されているのは、確かな知識や豊かな表現力などといった真の学力などではございません。 いかにその先生の授業がお粗末極まりなかったとしても、とりあえず正しいものとして受け入れてしまえる、(すくなくともそういうポーズをとりつつそれがポーズだと相手に悟らせない)そんな優しさや、たとえどんなに理不尽な設問であったとしても、こういうふうに答えてほしいんだろうな、と相手の意図を慮ることができる、そんな、あなたたちの「思いやり」こそが試されているのです。 内申点とは、無能な権力者(あなたたちの場合は学校教員)に従順であるフリができるかどうか、そういう能力こそが試されているのだということをゆめゆめ忘れないように。大人にとって、そういう生徒は「素直なよい子」の評価対象ですから。(どうせポーズだと見抜ける者なんかいません)これを定期テストの成績や内申点を伸ばすための助言としてご一考くださいね。

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新学期ということで、大阪府公立高校一般入試制度についておさらいをしておきましょう。 まず大阪府公立高校一般入試(以下、入試)は満点900にて競争します。 このうち、450点が入試当日の選抜ペーパーテスト5科目、もう半分の450点が通知表の評定つまりいわゆる内申点ということになっています。競争すべき総合点の実に半分が学校の先生の気分によってすでに決められているという状態で入試当日、志望校に向かう、ということになっています。 入試当日の5科目のペーパーテストは国数英理社が各90点です。また、試験実施時間は 9:10~15:10となっており、先の順に50、50、55(含LIS15分)、40、40となっています。 (英数にてCを採択されていると少し変わります。)科目間の休み時間は20分、昼休みは55分に設定されています。 この点数に内申点を加えた総合点順に受験者をランキングします。  さて、分かりやすいように100人募集しているとします。このとき、90位まではいちゃもんなしの合格です。 そして91位から110位の受験者について、「調査書」の記録が高校のアドミッションポリシーに合致している者を優先的に合格させます。つまり、91位の子が不合格になり、110位の子を合格とすることができてしまうのです。 それも調査書とかいう学校の先生の気分次第の得体のしれない紙切れによって。この悪魔の制度を理解してください。納得がいかなくても、大阪府に生まれた時点で、この狂った競争への参加に組み込まれているのですから。  さて次に内申点についてです。満点450ですが、その内訳は1年90、2年90、3年270、となっています。 その比は1:1:3ということです。今年、3年生になった諸君は、さあ!がんばろ!と意気込んでいる人も 多いでしょうが内申点のうちの実に4割が、もうすでに決まっていて、二度と絶対に覆らないということをまず、 現実として受け止めてくださいね。1,2年生の諸君は、なんと入試の半分のうちの2割は今から過ごす 1年間で決まってしまうのだと強く心得てください。  これ、ほんと気持ち悪い。違う学校で違う先生の授業を受け、違う先生の作った定期考査を違う集団で受けて、違う先生が採点をし、違う度数分布をもとに算出された内申点がそのまま入試に採用されるのです。 A中学の4とB中学の4はほんとに同じ4でしょうかね…?  さらなる内訳としては、9科目×5点満点=45 この45を1、2年次はそれぞれ2倍、3年次は6倍します。 ここに科目間の傾斜はないので、家庭科より数学のほうが偉いとかそういうことはありません。 いわゆる実技科目は定期考査が学期に1回しかなかったりするので、ソコが勝負なんですよ!  数学の4も家庭科の4も等しく4ですからね! ほんとにここを分かっておきましょう。 例としては、分かりやすく見事に全部3だったとしましょう。そうすると、 1年次3×9×2=54/90 + 2年次3×9×2=54/90 + 3年次3×9×6=162/270 = 270/450 ということです。 同様にして、オール4なら360/450となりますね。よって、その差は90となります。 この「90」! そうです。入試当日のペーパーテスト1科目分ですね。 すなわち、オール4の子とオール3の子が競争するとしたら、オール4の子は1科目まるごと寝て過ごしても、 それではじめてオール3の子と対等な勝負になります。いかに内申点が大事かを分かってくれましたか?  ここまで極端じゃなくても、1,2年なら1問、3年なら3問(配点が2だとして)内申が1上がるたびに 当日のペーパーテストで間違えてもよいということになるのです。  その重要極まりない内申点はどうやってつくか。ご存知の通り、学校の先生の勘と気分と思い込みです。 だったら、この新年度の1学期、ここで学校の先生に気に入られるかどうかが最大の勝負ではありませんか! たとえ納得がいかなくても、この悪魔のシステムのなかで、競争するしかないのです。 さあ、目覚めろ。立ち上がれ! やよ励めよ!!

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ある中学1年生の春休みの宿題 が話題になっています。 桃太郎電鉄を10年以上プレー する。 桃太郎電鉄とは、鉄道会社の社 長になって全国各地の物件を買 い集め総資産を競うゲームです。 この通称・桃鉄はなんと約70 00校の学校教育機関へ無償提 供されているみたいです。 なぜ、教育機関の導入が進んで いるのでしょうか? それは全国を回っているうちに 地名や特産品を覚えることがで きるというのは大きな理由です。 さらに、総資産を競うため、他 社との状況を見ながら戦略的な 思考も身につけることができる という理由もあるのかもしれま せん。 ゲームということでもしかした ら負の側面はあるかもしれませ んが、桃鉄が地理的な知識をつ けるのに役立つ教育ツールにな る可能性がないとは言い切れま せんね。

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いやあ、何が起きても気分はへのへのかっぱ、というわけにはいきません。 こと、教育活動とは未来への投資なわけですから、 それにかかわる問題は、未来を生きるつもりの人間であればみな、無視できないんですよ。 「全体の奉仕者」たる学校教員にその自覚があるのか、はなはだ疑問ですがね♪ https://onl.la/5cZgMUy このニュース、どうお感じになりますか? まあ、ソースが朝日(笑)なので、書いてあること全部ウソ☆なこともありえますが とりいそぎ、だいたいほんまのことを書いていると仮定して話をすすめましょう。 思ったより長くなったので、 先に結論をいったんここで書いておきます。 これこそ、学校教員が立ち上がって声を上げるべきでしょうよ。 「わたしたちは聖職者だ!」 「わたしたちの仕事は素人がやすやすと入り込んでいいものではない!」 「わたしたちに任せて! 未来はわたしたちに託された!!」 などと高らかに謳ってみてくださいよ? ね? 日本教職員組合さん♪ よろしくお願いしますね~ 以下、本文。 これ、学校教員の「サボりたい」という夢が詰まっていますね。 まだサボり足りないらしいですよwwww 学校教員は忙しい??? 当たり前です♪ 「全体の奉仕者」なのですから。 で、ロクに勉強も教えられていないのに、さらにさらに とっても大切な教育活動である、部活動までも 教員免許ももってない、たとえば発達心理学をかじってさえもいない the☆ド素人に任せようってんだから、じゃあ、きみたち、いったい「何」をしているの? 答えられるもんなら答えてみろよ(*^^*) そもそも,教員というのは,各科目の内容を教えながら道徳を教えるのが仕事なのです。 たとえば,国語の先生は,国語の教材を通じて人の心の有り様を教える。 数学の先生も,数学という科目から,論理性を教える。そういう、心や論理などのことを総じて道徳というのです。 どの教科の先生も,自分の授業を通じて,よりよい社会生活を送るための道徳教育をすることになっているのです。 そもそも教員の仕事とは教科指導ではなく、そういった道徳教育、つまり、 むしろクラス運営だったり,部活だったり,あらゆる教育活動を通じて行うものなのです。 教員免許ももってないthe☆ド素人にこれを平気で任せるとか、自分の仕事に誇りがないのか、覚悟がないのか、 サボりたいのか。これらのどれでもないというのなら、名乗ってみろ。 つまり部活を無理に担当させられて,本来の業務である教科指導の準備ができない、とでも思っているのなら そもそも! 本来の業務を勘違いしているのです。てめえら、教員免許をとる課程で大学で何を学んだのだ? お? 本来の業務が教科指導だと思っている時点で,教員免許をはく奪しましょう。未来のために。 それに加えて、その教科指導すらロクにする能力かやる気、あるいはその両方もないくせによ。サボることしか頭に無え。 教員も労働者だから,ちゃんと1日8時間勤務で,週40時間労働だというのはどこのバカが言い始めたんでしょうね。 そのへんの会社員とは全く次元の違う仕事をしているという誇りと自覚を持ちなさい。 土日も部活指導などで勤務するのは当たり前。 いつでもどこでも,学校の先生になったのだから常に先生たれ。 教員は,24時間いつでも教員であるべきであって,勤務時間内だけ教員なのではないのです。 そして,報酬は児童生徒の明るい未来! これに異議を唱えるようなヤカラは、教員になるな! もしくは退場せよ! と、熱くなりすぎましたが… みなさん、「教員は忙しい」とかいうマスゴミの洗脳から放たれてください。 たとえば、とあるマスゴミ、まあ朝日(笑)なんですが…の記事をごらんください。 https://onl.la/GWTgA2E ここに書かれてあることを読んで、どう感じましたか? ①子ども同士のトラブルについて、当事者の家庭に電話で説明し、謝罪。 ②運動会の準備に必要な作業についての打ち合わせ。 ③遠足の書類づくりと手配のための電話かけ。 ④子どもたちに配る予定表の作成と印刷。 ⑤校内向け時間割の修正や印刷。 ⑥テストの採点と記録……。 ①これ、一年に何回もありますか??? ②③これら、一年に何回もありますか? しかも、②と③が同時期にあるんですか? へ~( ..)φ ④へ~ 月一回、必ず毎月ホームページに上げるということができるようになってから言えば? ⑤時間割の変更って学期のはじめだけやろwww なにこれ? ギャグ? ⑥とうとう、これ言う? アホか。やれ♪ せめて、テストした、その翌日には採点済みの答案を返却して、 その採点にミスがない、という一年間を過ごしてみてから言ってくださいね~ おぼっちゃん♪おじょうちゃん♪ これらぜんぶが、同じ日に起こるのですか? んなわけあるかw もう少し計画的にお仕事しましょうね~ 先生たちは「忙しい,忙しい」と言っておけば,世間が同情してくれて自分たちは安泰なのです。 朝日(笑)ごときの報道にだまされるのもアホですがその記事のように「忙しい」フリする先生たちもずるいのです。 そんなに同情が欲しいんか? さて、いくら「サボりたい」からって、大切な教育活動を、the☆ド素人に放任するという暴挙について みなさんは、どうお感じでしょうか? 思えば、私が中学生だったころ、ALTとかいう、 単純でくだらないことがきっかけで雇われたであろうthe☆ド素人が 教壇に立ってましたけど… あれ、なんすか?w 教員免許ももってない、発達心理学をかじりもしてない、ただ英語をしゃべるだけの人。 なんで、そんなやつに教壇に立つ資格があるん?www 子どもに道徳教育できるん?  ただ、口から英語という音声が流れる、たったそれだけで…(じゃあ、CDでいいしw) 教壇という聖域を汚すんじゃないよ、 と、私が中学生だったころから、もうン十年も思い続けています。 教員の方も、「教壇」という聖域に立つ、というプライドがないのかね、ほんとに。 かんたんにthe☆ド素人に明け渡すんじゃないよ。まったく。 さて、その部活っぽいなにかを提供してくれる、学校以外のどこかの誰かは 教壇に立つ資格を有する者なのでしょうかね? 「教壇に立つ資格を有する者」ではないのだとしたら、これは恐ろしいことなんです。 どうして教育のプロではない近所のおっさんおばはんに我が子を預けることができようか!? まあ、くもんに預けてる親御さん多いから、できてしまうのでしょうけど? これこそ、学校教員が立ち上がって声を上げるべきでしょうよ。 「わたしたちは聖職者だ!」 「わたしたちの仕事は素人がやすやすと入り込んでいいものではない!」 「わたしたちに任せて! 未来はわたしたちに託された!!」 などと高らかに謳ってみてくださいよ? ね? 日本教職員組合さん♪ よろしくお願いしますね~ 笑顔ウルトラZな未来が来ますように(*- -)(*_ _)ペコリ おわり。

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…不要でしょう。というか、こいつこそ諸悪の根源、勉強の大敵! 学力向上を妨げるためだけに産まれたとしか思えません。 消しゴムを使ってなんかメリットあります? ただただ、腕が疲れて机の上にゴミが散らかっただけ。それ以上、何も産んでません。 生産性皆無! むしろ消す作業をしている時間、その消しカスを処理する時間に、英文和訳の一つ、方程式の一つ、できるでしょうに。 勉強を進めていくと間違うところはたくさんあります。計算などで間違う、スペルをうろ覚えで書き間違う、勘違いして書き損じるということはよくあります。当然のことです。 ただし、ここで消しゴムを使うと、正しい答えで簡単にリセットされてしまい、その間違いがなぜ起こったのかもよく考えないうちにリセットされて、心に残らなくなってしまいます。仕上がりがきれいで見やすくなるというメリットはありますが、二度と間違わないように心に残すという意味で、消しゴムは使わないほうがよく身につくものです。 消してしまっては確実にモノにするのはかえって遅くなるということです。消しゴムは使わないようにしましょう。 むしろ、自分のミスの傾向を把握できるようなノートこそ有効なのです。 たとえば、英語の問題をこなしているときに、一度はでてきた、一度は覚えたはずの単語や熟語をミスったときほど悔しいことはありません。 そのような場合、確実にモノにするには、間違えたものだけを記録する「ミスった集」というノートをつくることです。とにかく意味のあいまいなもの、スペルのうろ覚えのもの、片っ端から書き留めて、週に一度は開いて覚えなおすというものです。覚えたものは跡が残るように一本線で消していきます(消しゴムはだめ)。 こうするとどんどん覚えていく楽しみも味わうことができます。 計算ミスにしてもそうです。 計算を間違えた行があったとして、すぐ下の行に改めて書き始めればいいのに、わざわざ消して書き直す。 しかもその際に、必要な数字まで消してしまったり、消し方が不完全でプラスマイナスの符号を見間違えたりと、計算ミスのオンパレード。 そして、中には間違えることが恥ずかしいのか、書き直して、正解を書いてしまったりして、ノートに○をつけて終わりにしちゃう子もいます。歯痛いのに歯医者に行かないみたいなもんですね。 試験勉強って、間違えたところ、知らなかったところを明らかにして、そこを集中的に徹底反復することにより、どんどん穴をふさいでいくものです。結局、間違えたところを放置したままだと、必ず同じ間違いを繰り返します。 そして、解いて間違えたところはテキストに必ず×印を残しておくことが必要。かならず解きなおします。 間違えたところに目をつぶり、正解を写しておしまいというのでは単なる作業ですよ。 消しゴムの使用とはとどのつまり、ただただ、腕が疲れて机の上にゴミが散らかっただけなのです。 それ以上、何も産んでません。生産性皆無!意味があるとしたら、腕の筋トレか? 勉強中に? 計算ミス、スペルミス、こういった、もったいない失点こそ、あなどるなかれ。 消しゴムなぞ一刻も早く捨ててしまいなさい。 こういうところから、勉強の仕方そのものの学習が始まります。

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さて、今回は文系理系とかいう摩訶不思議な概念について少しお話しようかと。 この分け方には、ずっと違和感があるのですよ。 たいがいの場合、国語社会を文系、理科数学を理系とカテゴライズしますよね? いや、これ、おかしくないですか? 国語と数学って同時に得意か苦手かになるはずだし、 理科と社会って同時に得意か苦手かになるはずなんですよ。ふつうに。 いちおうちなみに、私自身の学生時代は、国語数学が得意で理科社会は不得意でした。 これですね、国語も数学も「論理」「情報」なんですよ…扱う文字が漢字が多いか数字が多いかぐらいの違いしかありません。 根本的な脳の使い方は、国語と数学ではほとんど同じなんです。それは紛れもなく「論理」ですね。 数学に割り振られている、図形の合同証明なんか典型的ですね。人を納得させる条件を整えるなんて、 「情報」そのものじゃないですか。それだったりあと、数学Aで学ぶような、集合の話とか必要十分の話とか あれ、「論理」以外のなにものでもありません。国語でよくある選択問題、あれは、 「この中ではこれが一番正解に近い」を選ばせています。これ重要です。この 「この中ではこれが一番正解に近い」の概念の習得がまさに、「論理」「情報」なのです。 本来「論理」や「情報」とでも呼ばれるはずの科目を、漢字が多いか数字が多いかでなぜか二つに分けてしまったのが 「国語」と「数学」の正体です。かたっぽ得意でかたっぽ苦手だというのは脳の仕組み的にあり得ません。 このように、おおよそ「考える」科目である「国語数学」に対して「理科社会」は「覚える」科目です。 「理科社会」の「覚える」量は国語数学の比になりません。膨大です。ようは、「覚える」という脳の使い方が得意なのであれば 「理科社会」は同時に得意になるはずでしょう。いうまでもなく「考える」が得意なら「国語数学」は同時に得意になります。 つまり、脳の使い方の違いとして、そもそも、文系理系どっちが得意? という質問は成立してないのですよ。 こんな摩訶不思議な質問、答える気失せます。 「考える」と「覚える」どっちが得意? という質問が成立します。私自身はたまたま前者ですってだけの話。 ここまで読んで、英語は? とぼんやり頭に浮かんでるひとも一定数いると思いますが、 詳しくはまた次の機会に話してみようと思いますが、 「英語」は「実技科目」です。つまり、本来、音楽美術体育家庭科の仲間なんですよ。 もうそこから狂ってるんですw とりあえずこの話は今回はここまで。 さて、現実的な話もつづけてみましょう。 多くの高校1年生はこの時期になると文系か理系かの選択に迷うでしょう。 大昔の幻想を引きずる大人たちは、 理系の方が就職が有利だから などと得体のしれないことを言っているし。 しかしよくよく考えてみましょう。 そもそも高校1年生が大学を卒業し就職をするのは7年後であることを。 そして、大人たちが就職活動したのはもう30年も前の話であることを。 私はこう思います。 大切なのは「大学で何をするか」かであって、理系か文系かの問題ではない。 例えば、理系は「地理」なんて誰が決めたのであろうか? 柔軟な学校は、理系でも日本史・世界史を選択できる。 もっといえば、そろそろ文系・理系の選択はやめて、「授業選択」になりませんかね。 将来の就職のためなどというカスみたいな理由で文系理系を選択するのはおよしなさい。 そもそも文系理系を選択するというのは、 指定校推薦が取りやすいからとか就職しやすいからとかいう、 そういうカスみたいな観点から考えるものではない。 そもそも大学というのは就職予備校ではない。 就職のことを言えば、企業側だっていつまでも大学名だけで採用したりすることによって、 厄介な人材が会社の中に入ってくるということも痛いほど知っているし、 大切な事は、どこの大学か以上に「大学で何を学んだか」である。 「名前」だけで選ぶ時代も選ばれる時代も、そんな時代が間違ってたんですよ。 大人たちもほんとはもう、そんなことにくらい気づいているでしょう。 でも、気づかないフリをしているのです。潜在的な意識のどこかで 自分の学生時代が間違っていたと思いたくないんでしょうね。 未来を担う子どもたち、つまり国の宝のために、現実的にものを考えられる大人になりたいものです。

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