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◇IメッセージとかYOUメッセージという言葉を聴いたことがあるでしょうか。 ◇このメルマガでも何回か出てきた言葉ですが、子どもを叱る時には、Iメッセージが有効です。 YOUメッセージの叱り方と比較してみると、Iメッセージの優しいニュアンスがわかると思います。  お母さん:太郎、なんで朝からゴロゴロしているの?  太郎君 :別に。ゴロゴロなんてしてないよ。  お母さん:じゃあ、学校の宿題でもしなさいよ。             なんで、こう毎日、ゴロゴロ出来るんだろうね!  太郎君 :だから、ゴロゴロしてないよ。テレビを見てるだけでしょ!  お母さん:そういうのをゴロゴロしているというのよ。駄目な子ね!             こんなことばっかりしてたら、ろくな大人にならないわよ!もっとシャッキとしなさい!  太郎君 :うるさいな!  お母さん:次郎、朝から何もすることないの?  次郎君 :別に。  お母さん:じゃあ、学校の宿題でもすれば。             お母さんは、あなたが勉強している姿を見るのが好きだな!  次郎君 :え?僕は今テレビを見ているんだけど。  お母さん:お母さんは、あなたがテレビを見てやることをやらないのは、嫌だわ。  次郎君 :分かったよ!勉強すればいいんだろう! ◇この二つの会話は、同じようなものですが、二つ目の会話には、Iメッセージが含まれています。 お母さんの気持ちを直接伝えているところです。 相手の行動を「自分としては」どう感じるかを伝えているところです。 ◇太郎君を注意している感じと、次郎君を注意している感じは違っています。 次郎君に言っている方が、次郎君も受け入れやすくなっているのです。 ◇注意を促したい時に、Iメッセージをぜひ活用してみてください。 もうすぐ冬休みです。子どもとの関係を悪くしない、一つのメッセージだと思って、試しにやってみてください。 子どもは、基本的に親の求めに対して応えるものですから。 『Iメッセージを活用しよう!』

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◇子育てって、何でしょう。 子どもを育てるってどういうことなのでしょう。 色々な答えがあるでしょうが、今回は、公共性を育てるという風に考えてみます。 つまり、子育ては、子どもを大人にするために、公共性を子どもの中に根付かせることなのです。 ◇そうすると、子育てで必要なことは、公共性に関連することを教えたり考えさせたりすることだということです。 それでは、公共性とは何か。簡単に言えば、複数人の中で他人に不快な思いを与えずに振る舞えること、 集団の秩序を乱さないこと、この集団が存続するように行動すること等々、ということです。 ◇ですから、子どものうちに、約束は守る、人の話は聞く、ルールを守る、 他人と喧嘩しない、暴力を振るわない、ものを粗末にしない、悪いことをしたら謝る、 目上の人を尊重する、親を大切にする等々、を教えるのです。これが、子育てです。 ◇それでは、子どもはなぜ勉強をしなくてはならないのでしょうか。 これもまた、公共性を習得するためです。 子どもは、勉強をすることを通して、公共性を学びます。 学校に行けば、そのルールがあります。集団の中で皆で学びます。 学校で勉強するということは、公共性を学び、そして、それを試す素晴らしい時間なのです。 人の話を行く時は、どういう態度でいるのか。 人の指示を聞いて実行するとはどういうことなのか。 他人に迷惑をかけないということは、どういうことなのか。 準備をする意味は何なのか。 自分が理解できないことを他人に聞くにはどうすれば良いのか。 何かを学ぶためには、どうすれば良いのか、等々。 色々な生きる力を実は勉強をするプロセスで学ぶのです。 ◇子育ては、公共性を培うプロセスです。 そういう風に考えて、子どもとの距離を取りながら、子育てを楽しんでください。 『子育ては公共性を培うプロセス!』

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◇過保護と聞いて、どんなイメージがわきますか? 多くの方は、「子どもを甘やかす等々」という印象があるのではないでしょうか。 つまり、親の態度が、子どもの「言うがまま」を受け入れるというイメージです。 子どもを甘やかす対応は、躾として好ましくないことも想像できるでしょう。 ◇「甘やかし」は過保護の典型ですが、過保護とは、 「本来、子どもが解決しなければならない課題を親が引き受けてしまう態度」をいいます。 母:もうすぐ期末テストなのに、勉強しなくていいの!? 子:今やろうと思っていたのに…。やる気がなくなっちゃった。 母:いつもそんなこと言って…。また点数が悪くても知らないわよ! 子:うるさいな~。 母:いつも、そう言って最後に慌てて、泣きついて来るんだから。お母さん、今度は知らないからね! 子:別にいいよ!! ◇勉強するか、しないかは、子どもの課題です。 それに対して、親がこの例のように無造作にかかわると、親子の人間関係が悪くなるばかりか、 親がいつでも忠告をしてくれることを子どもは学びます。 もしかしたら、良い点数が取れない時に、親のせいにしてしまうかもしれません。 ◇上記のような態度も過保護の一種と考えられます。 つまり、甘やかすということは、子どもが自身の課題と向き合う機会を奪ってしまうリスクがあるのです。 全く関わらなければ、結果を子ども自身が引き受けざるを得なくなります。 ◇それでも親として全く関わらないわけにはいきません。 そんな時は、Iメッセージをつかっていただきたいと思います。 母:もうすぐ期末テストだし、お母さんとしては、もう少し勉強した方がいいと思うんだけど。 子:うん、わかってる。 母:わかっているのに、勉強が進まないのは、何か不安なことがあるの…? 子:不安っていうか、わからないことだらけで嫌になっちゃうんだ 母:そうなんだ。お母さんとしては、仮にテストまでに完璧にならなくても、     わからないことを一つずつわかるようになって欲しいのだけれど… 子:でも、それじゃ間に合わないよ! 母:確かにね。焦る気持ちはわかるけど、(お母さんとしては)今のままでは、   一歩も前に進めないんじゃないかと思うのだけれど… 子:そりゃ、そうだけど… 母:結果は結果として、(お母さんとしては)一歩でも前に進んで欲しいのだけれど…。   まずは、学校の先生でも、塾の先生にでもわからないところを聞いてみたら? 子:そうだね。先生に質問してみるよ。 ◇日頃は生意気なことを言う子どもでも、 本来の自分の課題に向き合う方法については、まだまだ未熟なものです。 親が子どもの課題に口をはさむときには、Iメッセージを使って、 自分の課題に向き合うようにしてみてください。 親子関係を悪化させることなく、子どもが自身の課題に向き合えるようになると思います。  

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◇子どもが悪いことをしたとき、私たちは、叱ります。 しかし、叱るだけでは、子どもは、悪いことの反対の良いことを学ぶことはありません。 悪いことをした!と自覚はするかもしれませんが、 どうすれば、または、何をすれば、良いことになるのかを明確に示されないのです。 ◇ですから、叱ることと正しいことを示すことをセットにして、子どもと向き合うことです。 また、何でそれが正しいことなのかの意味をしっかり教えることです。 ◇また、子どもが悪いことをして、それを叱る場合、 子どもがどうしてその悪いことをしたのか、色々な可能性を創造しながら叱ることです。 例えば、子どもが勉強しないでゲームばかりしている場合、 「勉強しなさい!」と一喝するだけではなく、 もしかするとA君は、勉強しても、わからないことばかりで、辛い思いをするから、 勉強に向かわないのかも知れない、と思いながら、子どもと話をすることです。 ◇つまり、問題行動を叱るということは、 その問題行動の原因を解決するために、「勉強の意味」や 「わからないことが出てきたらどんな対応をしたら良いのか」 ということを教えることとセットでなければならないということなのです。 ◇子どもは、大切な他人(=親や先生)の関心に沿って行動します。 親や先生が、日頃の子どもの多様な行動の中から、 発見した望ましい行動に注目して、承認をしっかりしていくことです。 そうすれば、常日頃から望ましい行動を学ぶことができるのです。 子どもの行動を叱るときは、正しい行動とその意味をしっかり子どもに伝え、 そして、日々子どもの望ましい行動を親が承認することことです。

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◇学習指導要領は、日本のマンパワー政策の変化によって変わってきた。 1980年代後半に、日本のマンパワー政策は、アメリカ、イギリスの外圧によって、 日本教育の弱体化に舵を切り、その後、どんどん後退して、今日に至っている。 1980年代の貿易摩擦が引き金になって、アメリカ、イギリスが日本に圧力をかけ、 日本の教育は弱体化していくことになったのだ。 いわゆる、レーガン・サッチャー・中曽根、三者会談による合意が成立したのだ。 日本の教育は、1990年代から大きくカーブを切って、ダメになっていった。 そして、その終着点が、2002年のゆとり教育なのだ。 ◇その後、学力問題が教育問題になり、学習指導要領は、徐々に内容を以前のように戻していくが、 その教授法は、学力を形成することへシフトするのではなく、子どもの主体性という名の無責任な指導へと移っていくのだ。 そして、その評価の象徴が、観点別学習状況評価なのだ。 それこそ、新学力観として、1990年代の学習指導要領では、 「関心・意欲・態度」という主観的であいまいな観点が最上に置かれて、約30年間評価の軸になっていた。 そして、2020年からの学習指導要領でも表現を変えて「主体的に学習に取り組む態度」として残ったのだ。 ◇今回、とうとう「関心・意欲・態度」という主観的であいまいな観点の残骸である 「主体的に学習に取り組む態度」が、評価の軸から消えることになるのだが、 この際、学習指導要領全体をもう一度見直して、どういう人間を育て、そのために、どういう教授法をとればよいのか、しっかり見直すことだ。 アメリカ、イギリスの楔を断って、抜本的に考え直した方が良い。 だからと言って、安倍政権であったような産業界を中心にした教育再生会議のような似非教育論を振りかざす産業界の人間など入れないで、 教育をしっかり思考できる現場の人間と専門家(御用学者ではなく)で構成された諮問委員会を作って、 日本の教育について考えた方が良い。 ◇日本の基礎基本として、教育という観点から学習指導要領を抜本的に見直しを行ってほしい。

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◇子どもが育つ言語環境によって、子どもは色々な影響を受けます。 親の発する言語表現もその一つです。 例えば、否定表現と肯定表現のどちらを多く親が使うかによって、 子どもの物事に対する受け止め方が違う場合があります。 否定表現 お母さん:勉強しなければ、高校受験で不合格になるわよ! お母さん:自分の部屋も掃除できないような人間は、ろくな人間にはなれないわよ! 肯定表現 お母さん:勉強すれば、高校受験で合格するわよ! お母さん:自分の部屋を掃除できるようになれば、なんだってできるようになるわよ! ◇この二つの表現のどちらを多く子どもに使うかです。 ぜひ、肯定表現を多く子どもに使うようにしてください。 物事を自然と肯定的に捉えられるような子どもになっていくはずです。

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◇読者の皆さんは、お子さんにどんな期待を持っていますか。 たとえば、テストの点数は、何点とってほしいと思っていますか。 また、定期テストの1週間前に、どのくらい家で勉強してほしいと思っていますか。 そういう期待感を、私は「暗黙の理想」と言っています。 ◇中学生になると、明らかに授業の中でテストが増えてきます。 小学校の時から、算数や国語は、多少は出来てほしい!と思うのが親心ですが、 中学生になると今度は、英語や数学が出来るようになってほしい思うものです。 具体的には、少なくとも平均点以上の得点は取ってほしいし、 出来れば100点とは言わなくても80点は取ってほしいと密かに思っていたりしますよね。 ◇そういう期待感を私は、「暗黙の理想」と言うことにしているのですが、 この「暗黙の理想」が強ければ強いほど、子どもの結果や過程を、その「暗黙の理想」から評価しがちになるものです。 そうすると、なかなか子どもの結果や過程をプラスに受け止めることができないようになります。 ◇例えば、中学生の定期テスト(中間テストや期末テスト)の勉強時間を考えてみましょう。 定期テスト1週間前に、子どもにどれだけ自宅で勉強してほしいでしょうか。 私が、数十年間で保護者の方に講演する中で調査した結果、 一番勉強してほしいと思っている時間数は、大体で3時間でした。 ◇ある会場では、4時間が多かったり、海外で講演したときは、5時間が多かったりしましたが、 平均を取っていくと大体3時間が一番勉強してほしい時間と言うことになりました。 しかし、この3時間には、全く論拠はありません。 3時間勉強したからといって、絶対にテストでいい点が取れるというものではありません。 保護者の方は、ただ3時間ぐらいやってほしいと思っていたのです。 このぐらいやれば、きっとテストも出来るだろうと思っていたのです。 こういう思いが、「暗黙の理想」です。 ◇定期テスト前に自宅で3時間勉強してほしいと親が思っていると、 この3時間が子どもを評価する基準になってしまうのです。 ◇ですから、普段は家庭学習などしない子どもが、テスト前に30分勉強したとすると、 本来ならば、頑張って勉強したから、認められてしかるべきところを、 3時間(=180分)と言う「暗黙の理想」でその30分を評価してしまうと、 まだまだやっていない、全然やったことにはならない、そういう評価になって、 子どもにマイナスのアプローチをしてしまいがちになります。 ◇「暗黙の理想」を無意識の内に持って、子どもを見ていくと、 いつでも子どもの努力をプラスで評価することが出来ないようになってしまうのです。 ◇子どもの努力を評価する時の鉄則は、 子どもの現状を基準にして評価するということです。 「昨日の子どもの行動」を基準に「今日の子どもの行動」を評価することです。 ◇普段は全然やらない家庭学習をテスト前に、30分もやったのであれば、 プラスの評価になるはずです。子どもの努力を承認してもいいはずですよね。 「暗黙の理想」を基準にするから子どもの努力を素直に評価できないようになってしまうのです。 ◇「暗黙の理想」には、何の論拠もない場合が多いものです。 ですから、子どものやる気を引き出そうと思うのであれば、 「暗黙の理想」をちょっと端において、 子どもの現状から子どもの努力や行動を評価していくようにしてください。 ◇「昨日の子どもの行動」より「今日の子どもの行動」が成長していたら、 プラスの評価を、マイナスになっていたら、マイナスの評価をすれば良いのです。 『暗黙の理想を捨てて子どもを見よう!』

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◇高校無償化で一番喜んでいるのは、小学生の子どもを持つ高所得世帯だ。 首都圏の中学受験熱は、今年非常に高くなった。 子どもを私立中高一貫校に通わせたい高所得世帯の保護者は、 所得制限の撤廃で、高校3年間は授業料等無償になるのだから、 維新の会が言い出したこの高校無償化案は、喜ばしい限りだろう。 ◇しかし、こんな不平等な案があるだろうか。 所得の低い世帯も高い世帯も、高校進学を金銭面で支援するということが、平等な政策だろうか。 所得の低い世帯の子どもたちは、この支援をそのまま字義通りに活用して高校へと進学し、 所得の高い世帯の子どもたちは、この支援を個人的能力拡大のために活用するのだ。 結局、親の所得の再生産を強固にする仕組みではないか。 つまり、経済格差が大きくなっていく政策ではないか。 お金持ちが優位になる政策ではないか。そう思うのだ。 ◇そして、公立高校と私立高校への格差がどんどん開く政策ではないか。 国や公共団体は、公立高校の充実にお金を使うべき所を、 個人の裁量に任せる形で、公立高校と私立高校を自由競争のような恰好へと仕向けているだけだ。 子どもたちは、私立高校の充実した設備や、早期で入試が終わる点を良い点だとして、 私立高校を選択していくことになるのではないか。 これでは、自由競争などという綺麗事で偽装した公立高校潰してではないか。 こんな政策は、必要あるのか。所得制限撤廃こそ、撤廃するべきことではないか。

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◇子育てにおいて、他者比較は禁物ですが、 時系列を振り返って本人の過去と今と未来について語ってみるのは、 子どものセルフ・エスティームを高めるためには、有効なことだと思います。 ◇子どもの出来たこと、以前は出来なかったことを比べながら、 もう少し大きくなったら、こんなことも出来るようになるんだよと教えてあげてほしいのです。 子どもにとっては、自分の成長を確認できるし、 将来の成長に関してもイメージがしやすくなると思うのです。 お母さん:昔のA君は、これがまだできていなかったわ。 A君  :え?そうかな? お母さん:そうよ。2年前には、まだできなかったと思うわよ。 A君  :だって、この程度なら簡単だもん。 お母さん:A君が、成長したから簡単に出来るのよ。      自分では、わからないかもしれないけど、人間って徐々に成長していって、      今は出来ないことでも、簡単に出来るようになっていくの。      A君も成長の途中だから、ドンドン出来ることが増えていくわよ。 A君  :そうかな。まだまだ出来ないことが多いけど。 お母さん:今は出来ないけど、A君は、もう少ししたら、      色々なことが簡単に出来るようになるわよ。      そして、色々なことが考えられるようになると思うわ。      凄いと思わない?! A君  :もし、出来たら凄いね。 お母さん:大丈夫!絶対出来るから。 ◇こんな会話で、子どもの自尊感情を刺激してあげてください。 セルフ・エスティームは、こんな他愛もない会話で高まるものです。 子ども本人の時系列での能力比較をすることで、 子どもの今を承認してあげてください。そして、未来も。 それが、子どものやる気を引き出すことに繋がるのですから。 『時系列での能力比較をすることで、子どもの今を承認してあげよう!』

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◇シンプルに考えれば、学習塾も客商売です。 ただし、客商売にしては珍しく、お客=子どもを指導することで、対価を頂いている指導業です。 ここがほかの客商売とは違うところです。 そして、それは、同じ指導業としての自動車学校とも違うところです。 ◇それは、なぜか。自動車学校は、資格を取れば、それでお仕舞ですが、 学習塾は、成績を上げても、高校入試に合格しても、その先まで原理的にはお客が残っていくことを許すものだからです。 学習塾に通うのは、明確な目的のために通う自動車学校とはちょっと違うのです。 ◇それでは、なぜ、明確な目的がなくても子どもたちは学習塾に通うのでしょうか。 また、保護者はなぜ、自分の子どもを学習塾に通わせるのでしょうか。 それは、漠然とした不安が潜在意識の中にあるからです。 そして、その漠然とした不安を解消してほしいと願うからです。 ◇「このままでは、学校の成績が落ちてしまうのではないか。」、 「このままでは、高校に入れないのではないか。」、 「うちの子は、他の子どもとやっていけるのだろうか。」、 「勉強はついていけているのだろうか。」 このような漠然とした不安が、学習塾に行く動機になっているのです。 ですから、明確な目的、例えば、「英語を80点にしてください!」と言わずに、 「できれば80点ぐらい取れないと大変ですよね」なんて、保護者は、お茶を濁すのです。 ここに、学習塾の難しさがあります。 ◇この漠然とした不安が、子どもに対する指導を非常に難しくさせているのです。 そして、指導業としてのあり方が、更に事態を難しくさせます。 生徒や保護者の漠然とした不安を明確にしてあげようとする余り、 「こうあらねばらない」とか「ここまでする必要はない」とか「自分の信念にそって指導をする」とか、 そういう独善的なあり方が簡単に出てきてしまうのです。 誰のために、何のために指導をするのか、最初は、生徒のために、保護者のために、という意識が、 結局、自分の自己満足に陥ってしまう危険性があるのです。 ◇ですから、いつでも私たちが考えなければならないことは、 自分のやっている行為や思いは、自分の満足のためなのか、それとも相手の満足を引き出すためなのか、ということです。 そういう意識がないと、私たちはすぐに、自己満足的な行動や思いに陥ってしまいます。 こういう塾が、案外多いのです。 ◇どうしてそうなってしまうのか。 それは、先述の曖昧な不安ともう一つ、子ども相手だからです。 大人の目で見られているという意識がないからです。 つまり、対等な意識が生まれにくいのです。 「子どもだから、自分の方がなんでも知っているはずだ。」とか、 「子どもだから、そんなことまで思わないよ。」とか、 「この程度のことなら子どもは許してくれるだろう。」とか、そういう甘えがあるからです。 ついつい自分の都合に合わせて、仕事をしてしまいがちになるのです。 これは、自分の満足を考えてしている仕事以外の何物でもありません。 だから、塾の先生も学校の先生も自分の好きなことにしか興味や関心がないことが多いのです。 子どもたちが将来生きるであろう社会のこと、人間のことを知ろうとしないのです。 先を予測できない人間でも良いと思っているのです。 それでは、子どもを導くことはできないのではないでしょうか。 ◇この意識を変えることです。 そうすれば、私たちの仕事の質は大幅に向上し、生徒や保護者から厚い信頼を得ることができるはずです。 なぜならば、相手の満足を高めようとする意識で、行動をするからです。 私たちに大切なことは、この相手の満足を引き出す行為です。 ですから、相手に迎合することなく、自分の都合に迎合することなく、相手の満足を引き出すために、行動をしていきましょう。 それが、指導業としての学習塾の姿勢だと思います。 子どもが将来にわたって、あの塾に出会えてよかったと思ってもらえることこそ、学習塾が目指すべき満足です。

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