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高校入試制度が変わろうとしています。 政府が「単願制の見直し」について検討を始めたようです。 <公立高受験「単願制」見直し、複数校の志望可能に> https://command-ex.com/L3926/b1964/109442 これが実現すれば、公立高校受験において多くの都道府県で実施されている「1校だけを選び受験する」スタイルから、「複数校に順位をつけて出願し、希望に応じた学校に割り振られる」スタイルに転換します。 つまり、「どこに出すか」という問題から、「どう出すか」が重視される時代になるということです。 もちろん、子どもたちにとっては行きたい学校に行ける可能性が高まり、進路の選択肢も広がるわけですから、趣旨そのものは良いことではないかと思います。 一方で、私がこの変化を最初に聞いたとき頭に浮かんだのは塾の進路指導を再定義する必要が出てくるということでした。 単願制における従来の塾の進路指導は、「どの学校なら受かりそうか」という合格可能性の分析と、「本人の希望」をすり合わせる作業が中心だったと思います。  言い換えれば「確率」に賭ける世界です。 「この学校に本当は行きたいけど、合格率が50%だからちょっと怖い」 「この学校なら80%くらい受かりそうだから、確実に合格するためにはこっちかな」 など、「どの学校を選ぶか」は、最終的に受かりそうかどうか(=確率)が判断基準の軸になっていたと思います。 もちろん、塾の方針として可能性が低くても生徒さん本人の夢を後押しするケースもあれば、安全圏を狙う指導をなさるスタンスの塾さんもあるでしょう。 それについての是非は分かれるところでしょうが、いずれにせよ「確率」が基準になっていることは変わりませんよね。 しかし制度が変われば、その構造も変わります。 生徒さんが希望する学校を複数受験できるようになり、かつ志望順位がダイレクトに入試結果に反映されるので、同じような学力の生徒が同じ学校群を受けても、希望順位のつけ方次第で最終的にどの学校に進学するかは変わる可能性はあるでしょう。(合格の確率そのものには影響しないでしょうが) つまり、進路指導は単なる「選択」ではなく、「順位のつけ方をどう設計するか」という戦略性の要素を帯びてくるのだと言えます。 そうなると塾は、学力の補強者としての存在であることに加え、「選択のナビゲーター」としての色合いも出していかねばなりません。   見方によっては、都市圏の中学受験塾の進路指導と近いかもしれません。 私立中学の受験日程は、統一解禁日と解禁2日目の午前入試・午後入試に、多くの学校が入試日を設定しています。 つまり2日間×午前・午後の2回=4回の入試チャンスで、どの学校をどう受験するかという組み合わせパターンが大事になってくるわけで、そうした「戦略性」という点は似ていると思います。 この変化は、個別指導塾にとってチャンスかもしれません。 「本人の本当の希望」「家庭の想い」「地域性」まで汲み取った戦略を、顔の見える距離感で提案できるからです。 例えば生徒さんの高校への志望理由を、本人に言語化させている塾さんもあるのではないでしょうか。 なぜその学校に行きたいかを深掘りして、それに基づいて志望順位をつけるためでしょうが、こうしたアプローチはまさに、新しい制度にフィットする進路指導のあり方だと感じます。 一方でそれは、厳しい現実もはらんでいます。 順位づけのアドバイスを塾が行えば行うほど、その“責任”が問われやすくなるからです。 進学後に「やっぱりあっちの学校を第1志望にしておけばよかった」「塾の先生の言葉を信じたのに」といった声が出るようだと、塾の信用が揺らいでしまいかねません。 しかもこれは、単なる成績や合格実績では計れない心理的な満足度に関わる話です。 だからこそ私は、塾が戦略を示すのであれば、「後悔しにくい意思決定の仕方」まで一緒に教える必要があると考えています。   具体的には ・シミュレーションを複数提示すること ・「最悪のケース」「最高のケース」の両方を明示すること ・最終判断はあくまで本人と保護者がするようにすること あたりが重要になってくるでしょうか。 塾がやるべきは、最適解を押しつけることではなく、「納得感のある選択の土台」をつくることです。 学習指導がオンライン化され、AI教材も普及し始めた今、「ただ教える」だけでは塾の存在意義が問われます。 そこで大事になるのは「複雑な事情を整理し、選択肢を共につくる」ことではないでしょうか。 教材選びや学習指導と同じくらい、「進路の意思決定をどう設計するか」という視点を大事にする必要が出てくると思います。 進路指導は、単なるデータ処理でも感情論でもありません。 生徒さんと一緒に未来をシミュレーションし、納得のいく選択を一緒に組み立てる「伴走型サービス」です。 最終的に単願制がどうなるかはまだ分かりませんが、この変化を、「塾の可能性を広げるチャンス」と捉えて対応していきたいですね。

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。     いよいよ大阪・関西万博が開幕しましたね。 何のかんのと賛否両論が飛び交っている中ですが、否定的な意見の一つとして取り上げられているのが、全国の学校で「参加見送り」の動きが相次いでいるという報道です。 <万博無料招待に大阪市内の小中学校1割参加せず> https://command-ex.com/L3926/b1964/159412 リンク先の記事にもあるように、見送りの理由はさまざま。 長時間の移動、熱中症リスク、治安、保護者の理解、引率教員の負担……。 いずれももっともな意見であり、子どもの安全を第一に考える教育機関の姿勢としては理解できます。 しかし、ちょっと角度を変えて考えてみると、こうした学校の姿勢は塾経営においても非常に勉強になる事例だと感じました。 私たちは「行かない理由」に慣れすぎてはいないかという点です。 教育機関としての立場を考えたとき、「なぜ行かないのか」はいくらでも理由を並べることはできます。 では逆に「なぜ行くのか」「何を学ばせたいのか」という理由を言語化してきたでしょうか。 実際のところ学校の立場で考えれば、国や自治体から「行きなさい(行かせてあげます)」と押し付けられているように感じる部分があるのは否めないでしょう。 「別に行く理由はないけど、行けと言われたから」というマインドが根底にあり、「行かないこと」を前提に思考がスタートしている面はないでしょうか。 もちろん「行かない」という判断が悪いわけではありません。 ただ「行かない理由」と同時に「行く価値(理由)」もきちんと考え、比較した上で判断することが大事だと思うのです。 そしてそれは、学校に限った話ではありません。 個別指導塾を経営する立場であっても、同じようなことが言えるのではないかと考えます。 例えば個別指導塾でも、理科実験教室や地元企業・大学とのコラボ学習、社会見学、自然体験など、教室外での“体験学習”を取り入れるケースはよく見られます。 勉強合宿の類もここに含んでよいかもしれません。 そして、それらの実施には必ずリスクが伴うのもご存じのとおりです。 事故やトラブル、予期せぬ天候、子どもの体調不良など、何かあれば「なぜそんなことをやったのか」と問われる可能性があります。 だからこそ、塾には「行く意義を語れる力」が必要なのではないでしょうか。   例えばアメリカの有名な教育哲学者・ジョン=デューイは「教育とは経験の再構成である」と述べています。 知識をただ教室で伝えるだけではなく、子どもたちが体験し、考え、つながりを感じることで初めて“生きた学び”になるという考え方です。 また、同じくアメリカの教育学者であるデービッド=コルブの「体験学習モデル」でも、学びは単なる情報の受け取りではなく、「経験→内省→概念化→実践」という循環のなかで深まっていくとされています。 言い換えれば、体験のない学びは、定着しづらく、行動にもつながりにくいということです。 どれほど意義のある活動であっても、それが保護者さんや生徒さんに伝わっていなければ、信頼には繋がりません。 むしろ、「なぜ今こんなことを?」と疑念や不安を招くことさえあるでしょう。 だからこそ、「なぜやるのか」「どんな力が育つのか」を、事前に丁寧に言語化して共有する努力が求められます。 加えて、活動後にも「どんな発見があったか」「どんな学びにつながったか」を生徒自身が振り返る場を設けると、家庭でもその価値を共有しやすくなります。 まさに、コルブが説いた「内省」の部分であり、「体験を学びに変える」ための重要なプロセスです。     「教材選定」にも同じことが言えるのではないでしょうか。 仮に保護者さんに「なぜこのテキストなの?」と聞かれたとして 明確に答えられるかどうか、ということです。 そう考えると、説明責任は信頼をつくるチャンスでもあると言えるかもしれません。 塾が外部で学ぶ機会を提供することは、リスクがあるからこそ意義を明確に語る力が求められます。 大阪万博への参加見送りという報道は、学校がその説明責任を十分に果たしきれない状況を象徴していると言えるでしょう。 (もちろん、学校や先生が悪いと言いたいのではありません) 私たち塾は、この事例から「やらない理由」を並べるのではなく、「やる理由」をどう誠実に伝えるかを学ぶべきではないでしょうか。 説明責任とは、面倒な義務ではありません。 繰り返しになりますが、むしろ保護者さんとの信頼を築くチャンスなのです。 行かない・やらないという選択が悪いわけではありません。 しかし、それでも「行く・やる」ことを選ぶなら、その「意味」を誠実に語れる塾でありたいですね。

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。     現在、教育課程企画特別部会で次期学習指導要領の骨格を検討する濃密な議論が繰り広げられているそうです。 新年度が始まり、次の学習指導要領も視野に入れた新しいチャレンジが学校現場で展開されることが期待されています。 そこで、文部科学省が先日公表した「諮問のポイント」をテキストに、特別部会でのこれまでの議論を見てみようと思います。   現行の学習指導要領の評価と課題   少子高齢化、グローバル化が進み、今の子供たちが将来生きる社会はますます不確実性が高まっていく。 近年は生成AIが急速に普及し、新しいデジタル技術を使いこなしていくことも求められる。 変化の激しい社会の中で子供たちに重要なのは、自らの人生をかじ取りする力を身に付けることだ。 こうした前提に立ったとき、新しい時代に必要とされる資質・能力の育成や、主体的・対話的で深い学びの視点からの学習過程の質的改善、社会に開かれた教育課程、各学校におけるカリキュラム・マネジメントの実現など、現行の学習指導要領が標榜する方向性はおおむね間違っていない。       これが、今回の諮問における現行学習指導要領の評価だそうです。 一方で、個々の子供に目を向けてみると、課題も多くあります。     その一つが多様性の包摂です。 今や小学校の35人学級の中に不登校の児童は0.7人、不登校傾向の児童は4.1人いる計算になります。 さらに、外国にルーツがあり、家庭で日本語を話さない児童や学習面、行動面で困難を示す児童も増えているそうです。 しばしば指摘されてきた学校の「正解主義」や「同調圧力」への偏重から脱却し、民主的で公正な社会の基盤としての学校を機能させる観点からも、多様性を包摂し、個々の可能性を開花させる教育が求められています。 学習指導要領の理念や趣旨の浸透も道半ば。 知識と現実の事象を関連付けて理解したり、自律的に学ぶ自信を持っていたりする子供が少ないのは、日本の学校教育の懸案です。 GIGAスクール構想の浸透でICT利活用は進んだが、さらに効果的な学びを展開していく必要もある。   構造化で、より分かりやすく、使いやすく   ①質の高い、深い学びを実現し、分かりやすく使いやすい学習指導要領の在り方 ②多様な子供たちを包摂する柔軟な教育課程の在り方 ③各教科等やその目標・内容の在り方 ④教育課程の実施に伴う負担への指摘に真摯に向き合うこと を含む、学習指導要領の趣旨の着実な実現のための方策の、大きく分けて4つの論点を提示されています。   「質の高い、深い学びを実現し、分かりやすく使いやすい学習指導要領の在り方」の主な論点 ①のキーワードとなるのは「構造化」。 現行学習指導要領でも、各教科等の目標は ▽知識及び技能 ▽思考力、判断力、表現力等 ▽学びに向かう力・人間性等 の3つの資質・能力の柱で整理されており、特に内容は「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」を中心に、一定の構造化が図られています。 この整理は授業改善に一定の成果を出したものの、資質・能力の深まりや資質・能力の複数の柱を一体的に育成するイメージがつかみにくいという指摘がありました。       そこで、各教科等の中核的な概念や方略を中心に、学習指導要領の目標・内容の構造化をさらにもう一段階進めていく必要があるとして、 「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」の相互のタテとヨコの関係を表や箇条書きなどの形式で示すことが提案されました。 こうすることで、冗長な文章による分かりにくさや、教科等・学年等を横断した俯瞰(ふかん)のしやすさについても、改善される可能性があります。   さらに、デジタル技術を活用することで、より学習指導要領を使いやすいものにしていくことも考えられています。 すでに学習指導要領の各内容には「学習指導要領コード」と呼ばれるコードが振られており、これを生かして、デジタル教科書・教材と学習指導要領をひも付けて、ユーザビリティーやアクセシビリティーを向上させたり、単元ベースの授業づくりを考えやすくしたりすることが期待されています。   柔軟な教育課程の実現と表裏一体のカリキュラム・マネジメント     「多様な子供たちを包摂する柔軟な教育課程の在り方」の主な論点 ②の柔軟な教育課程でネックとなっていたのは、標準授業時数とカリキュラム・マネジメントの捉え方。 標準授業時数は教科ごとに各学年の標準授業時数が定められており、それらを積み上げると、小学4年生以上は年間1015単位時間となっているます。 この標準授業時数を大幅に上回る年間1086単位時間以上の教育課程を編成している学校も多く、文科省では見直しを求めています。   標準授業時数は、災害や感染拡大などの影響で一定期間の臨時休校となった場合などは、下回っても直ちに法令違反とはならないですが、各学校が標準授業時数の確保に努めるべきものとされているため、標準授業時数よりもある程度余裕を持たせた教育課程を計画しがちになります。 標準授業時数を下回るような教育課程編成を組むには、現行制度では授業時数特例校制度などを活用しなければ実現しません。   そこで文科省は、特別部会の第4回会合で、標準授業時数について、各学校や教育委員会の判断で一部教科の標準授業時数を一定程度減らし、その分を学校が独自に開設する教科も含めた他教科や、「裁量的な時間(仮称)」に充てられるようにする思い切った案を打ち出しました。   この「裁量的な時間」では、子供の個性や特性、実態に応じた学習支援を行うことや、教員研修や学校全体で取り組む研究活動に使ったりすることも視野に入れています。 さらに、小学校で45分、中学校で50分とされている単位授業時間を柔軟に設定できることや、学習内容の学年区分に固執せずに教育課程の編成・実施が可能なことを改めて明確化すれば、各学校で教育課程をより柔軟に運用できるようになると期待されています。   一方で、柔軟な教育課程を各学校の判断で編成・実施できるようになることは、各学校でカリキュラム・マネジメントをさらに意識的に実施していくことでもあります。 カリキュラム・マネジメントの考え方は現行の学習指導要領から導入されているものの、学校現場への浸透には課題が残ります。 今回、より柔軟な教育課程の編成・実施を可能にする選択肢を学校に委ねることは、裏返せば学校現場でカリキュラム・マネジメントを機能させ、教育課程の基本方針について保護者や地域へ説明責任を果たすことが一層求められるという側面も持っていると言えますね。  

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。   当ブログ内でも、大学入試関連の内容を頻繁にお届けしております。 それぐらい大学入試と学習塾の関係が切り離せなくなっていると感じるからです。 また、年内入試と呼ばれる制度(総合型選抜・学校推薦型選抜)で、約半数が年内に進学先を確定する時代になりました。 受験生のほぼ全員がお正月は勉強して当たり前、紅白を見ながら年越しなんてとんでもない! という時代ではなくなったのです。 特にこの5年~10年で一気にメジャーになった「総合型選抜」(旧AO入試)は、大学入試の選抜方法の一つとして完全に地位を築いた感じです。 それに伴い、学習塾もこれに対応できる指導力が求められるようになりました。 弊塾でも、新高1の継続性のほとんどが、総合型選抜や学校推薦型選抜を視野に入れて学習を継続してくれています。   志望理由書や自己PRの添削などは突き詰めれば終わりがありません。 受験生も指導者も、やってもやっても「まだ改善できるのでは!?」と思ってしまいます。 その沼にはまってしまっうことも多々あります。 総合型選抜指導は密度の高い伴走が必要になるため、中学時代(ひいては小学校から)知っている、塾の先生としてのアドバイスと添削、 また会社としての組織力を使ったフォローアップの体制を取っていきます。   大切なのは、総合型選抜対策を「する・しない」は別にして、外注を含めて総合型選抜対策が「できる」塾にはなっておくことですね。     ちなみに、参考として   10年以上こつこつと試行錯誤され続けた結果をまとめ、 知識や手法をYouTubeで公開もしておられます。 【総合型選抜専門塾ニッコマ YouTubeチャンネル】 https://command-ex.com/L3926/b1964/159362   というのもあります。 保護者の方も、今後のお子様の進路選択の参考になれば幸いです。 (中3や高校生の子にも是非見てみて欲しい内容です)       「中途半端にやると危険」と言われる総合型選抜対策ですが、本気で取り組むために必要な覚悟や戦略を学び、実践的なヒントを得る機会にしていただければと思います。  

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。 本日のテーマ「ほめることの難しさ」について   城南ゼミナールでは、「ほめる」ということをとても重要視しています。 特に、勉強が苦手な生徒は日頃勉強に関することでほめられる機会が少ないので、ほめることが重要ということには多くの方がご共感いただけるかと思います。 ですが、この「ほめる」という行為は、個別指導塾の現場では実はとても難しいことだと捉えています。   なぜなら、 ・講師と生徒で「よくできた、頑張った」の基準が違うことがある。 ・そもそもほめるという行為は意外と難しい。 という理由からです。 「定期テストで数学が40点だった」 「宿題で10問中正解が2問だった」 塾で働いている講師は、子供の頃にこのような経験をした方は少ないかもしれません。 ですので、日頃から強く意識をしていないと、ほめポイントを見逃してしまいがちです。 もし、先ほどの生徒が 「いつも30点だったが今回のテストは40点だった」 「いつも宿題が全問不正解だが10問中2問正解だった」 だとしたらどうでしょう。   生徒にとっては「よくできた、頑張った」という、ものすごく嬉しい出来事です。 ですが、もしそれを誰にもほめられなかったら、勉強に対するモチベーションは今まで以上に下がってしまいます。 「頑張ったら塾の先生にほめられた」という成功体験の積み重ねが成績アップに繋がるということが、塾でほめることを重要視している理由です。 そのため、城南ゼミナールでは私塾長が授業をしながらも、各ブースの授業の様子を注視しています。 そして、よく他ブースの先生と生徒の会話に遠隔で入っていくので、生徒からも(講師からも)ビックリされます(笑) 聞かれていると思っていなかったからですね(笑)   でも、教室内の小さな変化、生徒の頑張りを、どれだけ見逃さないで、スポットを充てられるのか。 教室長としての力量が試される一つだと思っているので、とても意識的に「ほめる」ポイント探しを頑張っています・・・!

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。     文科省は、主に金銭的事情を抱える短大生や大学生に対して支援を行う「修学支援新制度」を設けています。 しかし、対象となる短大・大学が一定の定員を満たしていることが条件だったため、これをクリアできず学生募集を停止する大学などが出たことから、要件を緩和するそうです。 <「道府県で唯一の学問分野ある大学」ペナルティー猶予 文科省見直し> https://command-ex.com/L3926/b1964/139342 大まかには、独自性・専門性が高い学問内容を提供する学校は、定員割れをしていても対象から除外しませんよ、というものです。 学校に市場の競争原理を働かせることのネガティブな側面が如実に表れた結果だとも見ることができます。 話題の高校無償化で、統廃合となる公立校が増えるのも同じ原理だと言えるでしょう。 <高校無償化どうなる?大阪は公立離れ 東京は中学受験“熱”も> https://command-ex.com/L3926/b1964/149342 公教育は社会基盤として必要な制度です。 記事にもあるように、単にニーズの多寡だけでその価値を決めることはできません。 たとえば地域に一つしか学校がないような過疎地で、生徒が少ないからと言って学校をなくしてしまえば、その地域に住んでいる子どもたちは教育を受ける機会や選択肢を失います。 もっと言えば、その町に住んでいられなくなるでしょう。 そこへ他校や私立と競争させて「生徒が少ない=必要性がない=だからなくしてしまえ!」と言うのは、市場原理としては正しいかもしれませんが、社会インフラの存続としては問題があるということです。 もちろん、だからと言って学校は存続のための努力や工夫をする必要がないという意味でもありません。 地方の学校がその地域性を生かして「その学校(地域)でないと学べない」コンテンツを作り、学校の魅力向上に努めています。 教育社会学の研究によると、塾など地方の小規模教育機関は地域コミュニティの形成や維持において重要な役割を果たすとされています。 地域の文化的資源を活用し、地域住民の教育水準の向上や地域アイデンティティの強化に寄与しているからです。     我々塾が単に成績を上げるための場所だけではなく、付加価値として提供できることがないか、常に考えていきたいところですね。

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。   数ヶ月ほど前に、今年度の大学入試制度が大きく変わるかもというテーマで記事をお届けしました。 東洋大と大東文化大学が学力のみの年内入試を実施して、文科省が激オコしたことで、新年度からの年内入試に待ったをかけたという内容ですね。 記事内でも触れていますが、類似の入試制度は関西圏では30年以上前から存在しており、東洋大・大東文化大の立場で考えれば「なんで自分たちだけ」というのはもっともな話です。 そう考えると、関西圏の公募推薦入試にもメスが入る可能性はあます。     そんな中、東洋大学は報道機関向けの説明会を開き、物議を醸した当該入試制度(学校推薦入試基礎学力テスト型)について、26年度入試から形式を一部見直す方針を示しました。 【東洋大学 2026年度入試は「総合型選抜」で基礎学力テスト実施予定 推薦が間に合わない生徒に配慮】 https://command-ex.com/L3926/b1964/139332 【東洋大学?年内入試?見直しへ 学力試験に調査書など追加】 https://command-ex.com/L3926/b1964/149332 これをサンプルに、今後の大学入試トレンドについて予測してみたいと思います。 まず、東洋大学の入試改革の大枠として受ける印象は、「推薦入試から総合型選抜に鞍替えした」感じですね。 総合型はいわゆる自己推薦ですので、学校長からの推薦は原則不要になります。 サインだけして発行する、形式上の推薦書に対する批判を避けたい思惑があるのでしょう。 また、リンクの記事内にあるこの記述も気になります。   ===== 高校と大学の関係者からなる「大学入学者選抜協議会」は 年内入試のルール見直しに向けた協議を始めている。 (一部略) 協議会は「多面的・総合的に評価する」との原則に立ち戻り、 面接や小論文など2種類以上の評価方法を組み合わせて丁寧に選抜するとしたうえで、 評価方法の一つとして年内に学力試験を実施することも認める方向だ。 ===== グレーな部分をギリギリで攻めてきているという感じでしょうか。   これはあくまで個人的な印象でしかなく、間違っていたら心よりお詫びしたい旨をあらかじめ申し添えておきたいのですが、総合型選抜に力を入れると言うよりは、いかにして優秀な学生を早期確保できる手段を整えられるかが重要なのでしょう。 そもそも、昨年同様の数千人単位の志願者を求めるならば、面接を実施するとことは物理的に無理です。   つまり、年内入試による志願者をできる限り増やすべく、かつ現行のルールや制度から逸脱しない形を目指したらこうなった、ということなのでしょう。 ただ、2科目の学力試験のみだと、あからさまな文科省への反発とも捉えられかねません。 したがって、記事内にもあるように 「面接や小論文など2種類以上の評価方法を組み合わせて丁寧に選抜する」 「評価方法の一つとして年内に学力試験を実施することも認める」 のだと思います。   加えて注目しておきたいのが、受験会場の増設です。 一都三県以外では、札幌、仙台、郡山、水戸、宇都宮、高崎、新潟、金沢、長野、静岡、 名古屋、大阪、広島、福岡で実施するそうです。 「何としても全国から(多数の)受験生を」という、大学側の強い意思を感じます。 関西圏の私立大学はもとから選択肢が豊富ですから、関西の受験生から見るとそこまで魅力的に映らないかもしれませんが、地方の受験生にとっては違うでしょう。 「囲い込み」という表現は不適切かもしれませんが、その効果はあると思います。 とにかく、大学の生き残りを賭ける戦略としては大胆かつ思い切ったことをして、気持ち良さまで感じるほどです。   今後、このような年内入試(学力試験に加え、調査書が点数科される)のスタイルが増えるなら、私たち塾の出番でもあります。 定期テストでしっかり点を取り、通知表の数値を上げることができる塾が、より高校生に求められるようになっていくかもしれません。 大学受験対策に加え、高1~高3の1学期までの学校成績に対する成果をしっかり出せる高等部作りが大切になってきますね。   ちなみに、これを書いている前日に「新高1」の保護者からお問い合わせを頂きました。 高校生の受け入れ方針(=推薦狙い)をお伝えしたところ、「是非」とのお声も頂けました。     もちろん、まだそうと決まったわけではないので確信めいたことは言えませんが、特に新高3生の1学期は定期テストで高得点をとってもらえるように、今まで以上に対策や勉強会などを実施しておくほうがいいかもしれませんね。 おそらく、正式な方針が出てからでは対応が難しい(=手遅れ)と思います。 変わりゆく年内入試の詳細について、アンテナをしっかり立てておきたいところです。

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。     「勉強が苦手な生徒に予習で進めるのが難しい・・・」 というのをよく聞きます。 我々学習塾の目的は、やはり「成績を上げること」が一番です。 ただ、一言で「成績」と言っても捉え方は様々です。 塾には勉強が得意な子、苦手な子、幅広くお通いいただいていますが、最も多いのは平均点前後の成績中下位層の生徒さんです。   勉強が苦手な生徒達にとっての悩みは、 「学校の授業がわからない、ついていけない」 「定期テストで点数が上がらない」 ということだと思っています。 彼らの生活の中心はあくまでも学校であり、その学校の授業がわからないということは、本当に辛いことだと思います。   勉強が苦手で毎日学校に行くのが嫌になってしまったり、授業中に先生となるべく目が合わないように俯いてしまったり、そういう毎日を過ごしている生徒達がたくさんいます。       つまり、 春期講習:1学期の成績を上げるために、あえて予習をして成功体験を。 1学期:学校の授業の理解と定期テストの成績アップのために予習 夏期講習:2学期の成績を上げるために前の学年以前の内容と1学期の復習(1学期の成功体験をもとに) 2学期:学校の授業の理解と定期テストの成績アップのために予習 冬期講習:3学期の成績を上げるために前の学年以前の内容と2学期までの復習 3学期:学校の授業の理解と定期テストの成績アップのために予習 というサイクルで1年間指導をします。 塾での通常学期中の授業が学校の追いかけになってしまっては、いつまで経っても学校の授業がわかるようにはならないですし、定期テスト前に塾で充分な対策の時間も取れないので、定期テストの点数も上がりにくくなってしまいます。 個別指導で、勉強が苦手な生徒に対して予習型の授業をすることはとても大変な指導ですが、各ご家庭の大切なお金と時間をいただいている以上、そこから目を背けるわけにはいきません。   もちろん、教育とは正解が1つに決まっているものではありませんので、塾様によっていろいろなお考えがあるかと思いますが、 これが予習型の授業にこだわり続ける理由です。

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福岡市 城南区 の 個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。   「同じことを言っているのに、伝わる相手もいればまったく伝わらない相手もいる」、 「気を使って言ったつもりなのに、ムッとさせてしまった」という経験、 みなさんもおありではないでしょうか。   塾に通う生徒さんや講師スタッフたちも、それぞれに個性や特性を持っているものです。 おとなしめの生徒さんや誰とでも話すことが好きな生徒さんも、それぞれ特性といえます。 こうした対応が本当に徹底しているなあと思うのが、ビリギャル著者としても有名な坪田塾の坪田信貴先生です。 坪田先生は心理学に基づいて生徒さんのタイプを大きく9つに分け、アプローチする際の声掛けなどめちゃくちゃこだわり、成果につなげて来られました。 その一人が、言わずと知れたビリギャル・さやかさんでもあるわけですね。   そこで今回、「FFS(Five Factors & Stress)理論」について、簡単に書いてみようと思います。   人の思考や行動の特性を五つの因子(Five Factor)とストレス(Stress)で数値化し、その人の強みがポジティブに発揮されているか、ネガティブに発揮されているか診断します。 これによって対人関係を客観的に評価して、より最適化されたチーム環境を作れる、相互理解ツールともいえます。 ちなみに五つの因子は「凝縮性」「受容性」「弁別性」「拡散性」「保全性」、ストレス状態は「ポジティブ」「ネガティブ」に分類されます。 これをもとに、その人がどんな状態で最も高いパフォーマンスを発揮するのか、客観的に分析するのです。 【FFS理論 説明編】 https://command-ex.com/L3926/b1964/129292 また、FFS理論を導入している企業は、大企業を含めて多数あります。 それぐらい、チームビルディングや組織強化の分野で、信頼性が高い手法なのでしょうね。 【FFS理論 導入企業】 https://command-ex.com/L3926/b1964/139292 さらに、非常に分かりやすく解説したこんな書籍もありますよ! 【宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる あなたの知らないあなたの強み】 https://command-ex.com/L3926/b1964/149292 大人気マンガ・宇宙兄弟に登場する多彩な個性のキャラクターをFFS理論に当てはめ、作品内における登場人物の言動や判断の背景、心理状態などを解説しています。 自己理解や他者理解、人との付き合い方を学ぶ1冊としてもめちゃくちゃおすすめですし、簡易のキャラクター診断もできますので、みなさんぜひ一度やってみてください。 【FFS理論を用いた宇宙兄弟キャラクター診断】 https://command-ex.com/L3926/b1964/159292 自分の特性を把握することも、チームビルディングには不可欠ですよね。というか一番大切です。     FFS理論を学んで、自己理解と他者理解を深めてみませんか?

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福岡市城南区の個別指導学習塾 ドリーム・チーム 城南ゼミナール です。   今や塾でも学校でも当たり前となった、教育のデジタル化。 導入され始めたころは色眼鏡で見る人も多かったですが、もはやすっかり定着した感じですね。 かつて日本がICT教育の黎明期だったころ、世界中からお手本とされてきたのがフィンランドです。 デジタル教育の先進国とされ、PISAの学力テストでも世界トップクラスの結果を残していました。 ところが近年、そんなフィンランドで「アナログ回帰」が起こっているのだそう。 <デジタル導入の「教育先進国」で成績低下や心身の不調が顕在化> https://command-ex.com/L3926/b1964/159272   記事によると、 PISAのテストでも近年は順位が芳しくなく、その原因を過剰なデジタル化に見出しており、 生徒・保護者・教員からも「教科によっては紙の教科書のほうが良い」という声が多数を占めたとのこと。 こういうニュースを目にすると、 「やっぱり紙(アナログ)のほうがいいのだろうか……」 「積極的にデジタル教材を導入してきたけど、考え直すべきかも……」 という迷いが生じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。   悩ましいところではあると思いますが、私は、このニュースから学べることが二つあると感じました。 一つは、デジタルかアナログかを二項対立で比較し、 白黒つけようとしないほうがいいのではないかということ。 アナログなツールや作業と相性のいい教科もあれば、その逆もあります。 同じ教科でも単元によって異なるかもしれません。 極端に言えば、例えば美術や図工という教科において、自分で手を動かして作ることの教育的意義を否定する人はいないでしょう。 そこで 「3Dプリンタを使ったほうが早い」とか、 「デザインソフトを使えばもっとキレイな画像(絵)を作れる」 というのは論点が違うと思います。 どんなものを作るかというアイデアも、「AIに聞けば済む」言ってしまえば、人間のクリエイティビティの否定になります。 要は、デジタルかアナログか、それらはあくまで手段でありツールであって、適材適所で選べばいいということです。 上述のように教科や単元によってもデジタルとの相性は異なりますし、生徒さんによっても違います。 デジタル教材でサクサク進めたい子もいれば、歩みは遅くとも「書いて覚える」ほうがやりやすい子だっているはずです。 良くないのは、教育ICTの草創期のようにICTを全否定すること、逆にアナログを「古い、非効率」だと言って同じく全否定することだと思います。 もう一つは(主張としては似ているのですが)、因果関係を混同しないことです。 今回のニュースでは、フィンランドの学力が低下していることなどを受け、アナログ回帰が起こっていることを報じています。 しかし、学力低下とデジタルの因果関係がどの程度明白なのかは、よく分かりません。 つまり「学力低下」という好ましくない結果の原因を、すぐさまデジタルと結び付けて考えるのは危険ではないかということです。 もちろんフィンランドも、デジタルだけが原因だとは思っていないでしょうし、きっときちんと比較検証した結果だとは思うのですが、 私たちがそれを受けて「そうか、フィンランドのデジタル教育は失敗だったのか。よし、アナログに戻そう」と脊髄反射的に判断するのは早計ですよね。 それは、デジタルかアナログかの比較だけに限った話でありません。 例えば成績が下がってしまった生徒さんがいたとしましょう。 その原因はテキストなのか、講師の指導力の問題なのか、本人の気持ちの問題なのか、勉強のやり方の問題なのか、当該単元との個人的な相性の問題なのか、あるいはそのいくつかが複合的に影響しているのか分からないものです。 逆に成績が上がったとしても、単純に「これのおかげ」とは言えません。 だからこそ、私たちはいろんなアプローチを試行錯誤しているのだと思います。 教育には、「これ!」という唯一解がないのが当たり前だと認識しておくべきではないでしょうか。 振り返って見ると、ICT教育が浸透し始めたころ、否定派の人たちからは「ICTで学力が向上するというエビデンスを示せ」という声が多く上がっていました。 しかし、初めての試みなのにエビデンスなど示しようがありません。 エビデンスがないからこそ、それを作るためにもやってみるのだとも言えます。 そもそも「ICTで学力が向上するエビデンスを」と言うならば、アナログだから向上したというエビデンスも必要になりますよね。 エビデンス主義が絶対にダメだとまでは思いませんが、過剰にそれを信奉しすぎると何もできなくなってしまいます。 やはり「肌感」みたいなものは忘れずにおきたいですし、それもまたアナログ的な良さだと思います。 学校教育は、長い年月とそこで積み上げられたエビデンスをもとに、先人たちの試行錯誤の上で、最適化を繰り返しながら作られてきました。 言わば「100%ではないかもしれないけど、現時点ではこれがベスト」だと思えることを体系化し、提供してきたのです。 でも、「全員でそれをやる」というマス教育においては、そこに合わない子だって出てきます。 だからこそ、個別指導塾というモデルが成立するのではないでしょうか。 「良い教育」とは十人十色であることを具現化したのが個別指導であるとするなら、その個別指導が「この教え方が正解」「デジタルがいい、アナログがいい」と決め打ちしてしまうのは矛盾しているとも言えます。 もちろん「こだわり」とはまた別の話ですが、もっと自由で、もっと自塾らしく、もっと生徒さんに寄り添った教育は作れるはず。 したがって、デジタルかアナログかという論争も、不毛とまでは言いませんが、どちらかに結論付けようとしなくて良いと思うのです。 どこか一つ信念や筋を通しながらも、適材適所、いいとこ取り、臨機応変、そういう柔軟性を持って塾運営をしたいですね。

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