「聞かれたことに答える」
結局のところ勉強って、社会も理科も数学も
要するに、全科目を貫いて
「聞かれたことに答える」
たったこれだけのことをずっと練習をしているだけなんですよ。
塾生にもよく言うのですけど、
「今日何曜日?」と聞かれて「24日です」と答える人と一緒に仕事したいと思うかね?、と。
そんな子がそのまま大人になったとしたら、
テレビに出るぐらいしかやれる仕事のこってないですよね。
少なくとも私はあんな見世物小屋の中には入りたくないです。
入りたいなら別にいいですよ、勉強しなくても。あれだって立派な仕事です。
私は差別しているわけではなくて、私はイヤです、と言っただけ。
ただ、もちろん選択肢は多いに越したことはないので、
見世物小屋に入ってもいいのと、見世物小屋にしか入れないのは
次元が違いますよね? 職業選択の自由なりなんなり、~の自由は
公共の福祉に反しない限り認められますから、一定の能力のない人が
普通の仕事をするのは公共の福祉に反しますので、普通の仕事をしたい人は勉強しましょう。
その”一定の能力”といま私が呼んだのが
「聞かれたことに答える」ではないでしょうか?
たったひとつ、これを、科目を変え分野を変え、いろんな方面から身に着けていく。
まさしくそれこそが、義務教育なのではないかと私は思っています。
たとえば理科の問題でこんなのがよく出る。
問題「反射はどのようなことに役立っているのか,例をあげて説明しなさい。」
たいていの入塾してまだ浅い生徒の解答はこうなる。
「熱いやかんに手をふれて,思わず手をひっこめる。」
これで解答したと本気で思っているのだ。
なんやったら、ときには、大人でさえ、え? これ正解じゃないのとまで言いのける始末である。
これが塾通いをすると、きちんと解答できるようになります。
使命感と熱意のある講師が指導するから。
つまり、裏を返せば、学校だけに任せていたら、そうならない、ってことです。
たいてい、使命感と熱意のある講師がそこにいないから。
私はモーニング娘世代なので、
日本の未来は世界が羨むと少年時代によく聞いていたが、あれから20年ほどがたち、
これが”あの頃の未来”の日本の現実である。
今からさらに20年後のこの国が、少しでもマシになるように、
日本の未来そのものを創っていく、それが教育者たるものの責務です。
残業代よこせとか裁判所に泣きついているようなヒマはございません。
却下されとるしw
使命感と熱意のない者は現場から去れ! 明るい未来を手に入れるためには、
君らがそこにいてはいけないのだよ。よそいけ。