ジュクサガス

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『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。 されども今廣く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、 貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、 其有樣雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。 人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。 ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、 無学なる者は貧人となり下人となるなり』 ご存知のかたが多いと思いますが、 いまだに騙されている人も多いようなので、はっきり言っておきたい。 福沢諭吉は人の平等を説いたかったのではない!! まるでテレビの編集みたいですね… ひどい切り取りかたをしています。 【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。】 ここまでがワンセンテンスですよ。 (と云へり)は意図的に操作され消去されたのでしょうね。荒唐無稽。 「云へり」と書いているのだから、筆者本人のことばではございません。 「と言われている」という意味です。 さらに言えば「天は」に注目しましょう。 ここ、「人は」とか「世間は」とかに勝手に読み替えている人のなんと多いことか。 つづきの文章をへいたんな言葉に置き換えると… しかし今世の中を見てみると、賢い人と愚かな人がいる。 また、貧しい人や裕福な人、身分の高い人と低い人がいて、 その有様は雲泥の差だ。どうしてだろうか。 ひとは生まれた時は平等である。 学問をして、物事を知る人は偉く、お金持ちになる。 無学の者は、卑しくて、貧乏になる。 となります。 そもそも、この著作のタイトル「学問のススメ」ですよ? 平等なんかこれっぽちも説いていません。 勝手に勘違いした、もしくは、勘違いさせられた。 勘違いするように仕組まれたとでも言うべきですね。 だって、「云へり」は明らかに不自然に抹消されていますから。 生まれたときは皆平等かもしれないが、その後は学問によって人生がわかれる。 これこそ福沢諭吉の言いたかったことである。 ここまででもう結論ですが、蛇足として 福沢諭吉の銘語録をならべておきましょう。 自分の考えだけで、他人を評価してはならない。 自由と我がままとの境界は、他人に迷惑を掛けるのと掛けないのとの間にあります。 人生において偶然に得たものは、また偶然に失うこともある。 学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。 農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。 学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。 …ドキっとする、ハっとする人、多いのではないでしょうか… 『学問のすすめ』には 現代のわたしたちにも共通する、大切な教えが説かれています。 一度手にとってみてもいいかもしれませんね。

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巷では、子どもたちが、こんな呪文を唱えるようですね。 「習ってない」 =「だから知らなくてもいい」とでもいいたげですね。 うちの教室の塾生は、こんな呪文唱えません。私がマホトーンを使えるから。 少し話がそれるようですが… わたし、あれ嫌いなんです。 あれというのは、電車に乗るときの駅でのアナウンス 「ドアが閉まります」 =「誰かが挟まって事故っても責任はドアにあります」とでもいいたげですね。 (何年か前から地下鉄では「ドアを閉めます」と言うようになりました。ナイスです♪) さらに蛇足。 「えんぴつどっかいった」 =「勉強が始められないのは道具がないから」とでもいいたげですね。 これ、うちの塾生は「~をどこかにやってしまった」と言います。 私がそう教育しているから。 要するに、私が言いたいのは… 人のせいにするな! です。 習ったか習ってないかなんかぶっちゃけスーパーどうでもいいのです。 「だれかが」言ったかどうかではなくっ 「自分が」教科書を読んだか読んでないか、です。 だから、うちの塾生は、問題集やってて、 「お。なにこれ、さっぱり知らないぞ」となった場合、こう言います。 「先生、教科書(辞書)貸して!」 入塾したての生徒たちは、 {「自分が」学ぶ/調べる/覚える} ↑これをそもそも教わってない指導されてないケースがほとんどです。 これを伝えずに何が教師か。教師の師は師匠の師ですよ? 正直、考えられへん!!(きむにい風に) で、教科書をその巻末にあるさくいんのページを開いて渡してみると…おおむねこう言います。 「え?こんな便利なもんあったんや!!」 そうなんです。そもそも「さくいん」の存在すら知らないです。 だって、{「自分が」学ぶ/調べる/覚える}これをそもそも教わってない指導されてないから。 そして、 ・いままで自分は「教科書を開けて」、とだれかに指示されなければ開けてもいないという衝撃の事実。 ・「さくいん」というスーパー便利なものがある。 ・ほとんどのことは教科書に載っている。 ・つまりわざわざまどろっこしい講義など聞かなくてよい。 ・つまり本来学習とは一人でできるもの。 ・とはいえ教科書読むだけでは解決しない難問がたまにある。 ・とはいえ覚え方のコツみたいなのが知りたい。 ・とはいえ家で学習する気にはならないから集中できる環境がほしい。 と彼ら彼女らの頭の中に革命的な気づきの連鎖が起きます。そして目覚めます。 かの阿久津まや先生も高らかに謳ってましたね。「いいかげん目覚めなさい」 {だから}塾通いするんですよ。知識なんか本屋さんで3000円あれば買えますから。 なんやったら図書館に置いてれば無料ですから。 と、いうことで。 うちの塾生は「習ってない」などという不思議な呪文を唱えることは無くなります。 決して人のせいにしない。自らの判断や言動の結果として起こる事実を責任をもっと受け止める。 そんな「生きる力」を育てています。

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あなたの小学校は大丈夫ですか? ↑こんなこと教わってませんか? みなさんは、将来、どんな職業に就きたいですか? 人気の職業の一つに動画配信者というのがあります。 で、動画配信者としてン十年メシが食えるような人ってどんな人でしょう。 結局、何でもいいから自分の得意なことや好きなことをトコトン追求している人じゃないでしょうか。 そして,それをYouTubeなどで披露しているというだけの話であって…… だって、「何も持っていない人」の映像なんか、誰も見てくれませんから。 ということは、動画配信でメシを食い続けたいのなら、 それだけの「なにか」を見つける努力は怠れないのですね。 さて,YouTubeにて、長嶋一茂氏がよいことを言っていたので紹介します。 少年野球でどう指導するかという話なのですが…… まず断っておくのが,子どもにウソを教えたら,それをずーっと持っていくので「怖い」という考え。 このことを現場の小学校教員方はきちんと分かっているのか、はなはだ疑問なんですけどね。 ゼロ除算の商は0と押し付けるなど,意味不明な とんでもないバカが教壇をえらそうに闊歩しているらしいですが。(ゼロで割ってはいけません!) 高校生にもなれば,その教員が頭悪いだけだと気づくものですが…、こと小学生指導はホントに怖いですね。 それで,何を指導するかという話でしたね。 バッティングに関しては一つだけ。「苦手だと思うコースを想定して素振りしなさい」 たいていの場合、「100回素振りしなさい」と言うと, 真ん中あるいは自分の振りやすい軌道でしか振らないのです。 外角低めを想定してとか,インコースをどうやって打つかなど振りながら考えていないのです。 振りやすいところを100回,1000回やっても,それでは試合で打てるようにはなりません。 おっしゃる通り!! そしてもちろん,これは勉強にも言えるのでここに書いているわけです。 生徒諸君に何時間勉強しなさいと言ったところで,自分の好きな教科ばかりやる場合があります。 得意教科を伸ばすのは結構なことですが,多くの場合,その得意教科だけでは渡っていけないのです。 苦手な教科,あるいは苦手な分野をいかにやるか。「何時間勉強しなさい」とか、とにかく大量の宿題だけ出しておく、とか、学校教員とか、大手塾とかの常套句/手段って、要は指導する側が頭使ってないんですよね。 ユニバでは学習指導のプロが、適切な内容の適切なレベルの適切な量の演習課題を与えているので、 問題ないのですが、たとえば,大手塾だと,本人が(あるいは保護者が)受講したい講座を取らせたりします。 最悪の場合は,塾側がお金もうけのためだけに取らせたい講座を強く勧めるなどという場合があります。 自分に必要な練習が何かをちゃんと分かるにはいろいろな経験と知識が必要で,通常、生徒には難しいのです。 指導者に恵まれなかった野球少年が素振りの回数だけをこなすのと同様に多くの中高生の勉強も…  指導者に恵まれなかった場合には、それ頭使ってやってますか?状態に陥っている危険性があります。 要は,いかに試合/試験を想定して練習/演習するか。 ここに、本来、教師が生徒に伝えるべきことが詰まっているのではないでしょうか。 少なくとも、私はそう思って日頃、指導しています。

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私自身が中学生だったころから、ほんっと変わらない学校英語… 世間では、覚えるべき単語数が増えただの、どうでもいいことでバカ騒ぎしていますが… そんなことは枝葉末節。本質とはなんら関係ないのですよ。 つめこみ?ゆとり? んなふわっふわしたこと喧々諤々しているヒマがあるなら 指導すべきことの内容の精査に時間を割きなさい。 さて、指摘したいことは山ほどありますが この場では一つだけにしときます。 保護者のかたがたも、きっと、こう習った覚えがあるのではないですか? 「名詞の単数形の前に着けるaは、その名詞の発音が母音から始まるときanとする」 これね… 逆なんですよ。 あのですね。単数形の前につけるのだから、それは「1」であることを表すということですね。 「1」は英語で「one」です。 「an」と「a」どっちのほうが「1」の発音に近いですか? 当たり前だけど、「英語」は人間の「言葉」です。記号ではありません。 ですので、言葉の規則というのは総じて「話しやすいかどうか」で決まるのです。当然なんです。 日本語のルールとしても例えば、「泳ぐ」を過去の意味にしたければ「泳ぎだ」ではなく「泳いだ」になりますね。 なぜ、「ぐ」なのに「ぎ」ではなく「い」になるか。「そのほうが話しやすいから」に決まっているでしょう。 「走る」も同様に「走りた」ではなく「走った」になりますね? はじめっからそういうルールで言葉を作った人なんか存在しません。 話しやすいように話してたら、そういう規則性が生まれてきただけです。それを体系的にまとめたのが「文法」です。 こと「文法」という用語を使うと、脊髄反射で強烈な拒絶反応を示す残念な方々もとくにこの国には多いですが… ルールが先にあってそれを学んでから話しはじめるのではありません。 話しやすいように話していたら自然とそうなってきた決まりを整理しただけです。 つまり、「話せる英語」を学ぶのと「書ける英語」を学ぶのと まるで両者にとても大きな乖離があるかのように、前者を学ぶべきだ~ と喚いている方々は…… この先は言うのはやめておきましょうか。 さて、閑話休題。 つまり、もともと、一冊の本のことを、one book と言っていたのですよ。ふつうに。あたりまえすぎる。 でですね。日本語でも「わたし」のことを「あたし」と言う人、いますね? 「watashi」→「atashi」 はい。wの音が抜けましたね。 「WAN」→「AN」 はい。wの音が抜けましたね。 と、いうことで an book と言うようになりました。 さてどうでしょう。これ、声に出してみてください。 そうですね。発音しにくいです。発音しにくいから、どうなるでしょう。 と、いうことで、a book となりました。 発音しやすいように文字(音)が抜け落ちるなんてのはよくあることですよ。 話しているうちに、自然にそうなるから。 急いで喋っていると「~するのです」を「~するんです」って言ったり 「すみません」のこと「すいません」って言ったり、日本人もみんなしてるじゃないですか。 ほいで! うしろが、じゃあ、たとえばappleなら、 この場合は、どっちが言いやすいですか? nがのこっていたほうが後ろの母音と繋がってむしろ発音しやすいですね。 だから、後ろに母音が続くときは「nが残る」んです。 そうです。「nがつく」ではありません。「nが残る」のです。 「aは後ろが母音のときanになる」は大間違い!! 「anは後ろが子音のときaになる」が正解です。 おっそろしいことに、ン十年前からあいもかわらず学校教員も なんと教科書,参考書にいたるまで前者の説明のオンパレード。 どうでもいいことにバカ騒ぎしてないで、こういうところを 有識者(笑)たちには議論(笑)していってもらいたいですね。 ねえ? 識見を有する者(笑)を名乗るのだったらね♪ さて、うちは「塾」ですから。 当たり前のことを当たり前に生徒たちに伝えています。 当たり前のことを当たり前に子どもたちに伝えていける、 希少価値の高いサービスをこれからも提供してまいりますので 塾生保護者の方々はよろしくお願いしますm(__)m 今、塾を探していて、このブログにたどり着いている保護者のみなさまにあたりましては ぜひ、フリーダイアルにお問い合わせを! 0120-588-761 お待ちしていますm(__)m

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今回は、大学入学共通テストの英語について思うことをだらだらと。 以下、ご確認ください。センター試験と大学入学共通テストの大問構成の比較です。 【センター試験】 Ⅰ.発音・アクセント Ⅱ.文法・語法 / 文整序 / 空欄補充など Ⅲ.不要文選択、会話空欄補充など Ⅳ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅴ.長文(物語など) Ⅵ.長文(評論文など) 【大学入学共通テスト】 Ⅰ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅱ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅲ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅳ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅴ.長文(資料や図、データの読み取り) Ⅵ.長文(資料や図、データの読み取り) で、なんで、こんな偏った出題にしたか。 それは、「英検とかTOEICとかの成績を大学に提供することで、それらをふまえて英語の能力を総合的に判定するので、 こと共通テストにおいては情報処理能力を計り、そのたの試験でほかの能力を計ろう」という意図があったみたいですね。 そして! その「英検とかTOEICとかの成績を大学に提供する」のは、「やっぱやーめた」なんですよ。 理由? 「めんどいから」 以上。 うん。まあいいんですよ。「やっぱやーめた」自体は。 だって、それらの試験を受けるのにも金はかかるわけですし。 でね? じゃあ、なにが問題か。 このブログの読者の皆様は聡明でしょうから、お気づきでしょう。 そうです。「やっぱやーめた」のにも関わらず、 「出題の構成は変えません!」とのことで、実際に変わらなかったんですよ。 すげえでしょ?www THE☆理不尽 理由? 「めんどいから」 以上。 そうして、「発音・アクセント」の出題はキレイさっぱりなくなりましたとさ。ちゃんちゃん。 仮にも人の学力を計ろうとする側が、論理の筋すら通さないのですね。 きっと国語や数学の苦手な人たちが多いのでしょう。かわいそうに。 こいつらこそ、もっかい中学校から出直してくればいいのに。 あ、間違えた。母の腹から出直してくればいいのに。 さて、「発音・アクセント」の出題を消滅させるという、忌まわしき暴挙! 極大消滅呪文メドローア! あのね? 英語って「言語」ですよね? ま! ず! 「音」なんですよ。スーパーウルトラデラックスハイパー当たり前の話です。 「聞く→しゃべる」よりも先に「本や鉛筆を持つ」赤ちゃんに出会ったことのある人は いますぐ名乗り出なさいwww そんなやつおらへんやろ チッチキチー 出題されないからといって,発音やアクセントはわからなくてよいのでしょうか? そんなわけないやんwwww 「音」で聴いて,「音」で伝えて、理解するということ。 根本的に大切な「音」をおろそかにして,言語の学習は成立しないのです!  カウカウが踊り出すくらいに当たり前です。 今時の電子辞書や英語学習アプリは英単語の音声再生機能がたいがい、ついていますよね。 電子辞書やアプリなんてけしからんとかほざいている紙の辞書教に入信している方々は、 どうぞそのままその硬い枕と眠っておいてくださいm(__)m 塾生諸君もスマホに”ことまな”をインストールしてますよね? 実際に音が聞けるわけですから,もっと音をしっかりと覚えましょう。 で、それでおわりじゃないよ! それを「真似して発音する」をしてください。 脳の仕組みの問題です。「自分が発音できない音は聞き取れない」 そして発音できるようになったら、次は、”発音しながら書く” ただ黙って何百回も書くよりも、たった3回程度、発音しながら書く(とさらに同時に頭の中では使い方を思い浮かべる) さすれば、英単語の暗記ごとき、さほど苦手意識をもつものじゃなくなるよ。 「音」と「意味」と「文字」を同時に覚える練習方法なのだから。 英語が苦手だというのは、要するに、この三つが繋がってないのですよ。 これらが三位一体になったとき、人は、それを、「言語習得」と呼ぶのです。 小学生のころの漢字ドリルも、声に出しながら意味を思い浮かべながら書き取りに励んだ子たちは、やっぱり漢字テストで好成績でしょう。 それなのに、「ただ黙って何百回も書く」の類の宿題を出す、学校のアホ丸出しの英語教員は今すぐ退場なさい。迷惑きわまりないwww じ・か・ん・の・む・だ! さて、聡明な学齢期の生徒諸君、および、その保護者様がた、 言語は「音」から! そのスーパー当たり前の真実に気づかない、いや、気づいているのに気づかないフリして、 それに逆行する言動をとるおバカさんたちに振り回されないように。 正しくお勉強しましょう。

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結局のところ勉強って、社会も理科も数学も 要するに、全科目を貫いて 「聞かれたことに答える」 たったこれだけのことをずっと練習をしているだけなんですよ。 塾生にもよく言うのですけど、 「今日何曜日?」と聞かれて「24日です」と答える人と一緒に仕事したいと思うかね?、と。 そんな子がそのまま大人になったとしたら、 テレビに出るぐらいしかやれる仕事のこってないですよね。 少なくとも私はあんな見世物小屋の中には入りたくないです。 入りたいなら別にいいですよ、勉強しなくても。あれだって立派な仕事です。 私は差別しているわけではなくて、私はイヤです、と言っただけ。 ただ、もちろん選択肢は多いに越したことはないので、 見世物小屋に入ってもいいのと、見世物小屋にしか入れないのは 次元が違いますよね? 職業選択の自由なりなんなり、~の自由は 公共の福祉に反しない限り認められますから、一定の能力のない人が 普通の仕事をするのは公共の福祉に反しますので、普通の仕事をしたい人は勉強しましょう。 その”一定の能力”といま私が呼んだのが 「聞かれたことに答える」ではないでしょうか? たったひとつ、これを、科目を変え分野を変え、いろんな方面から身に着けていく。 まさしくそれこそが、義務教育なのではないかと私は思っています。 たとえば理科の問題でこんなのがよく出る。 問題「反射はどのようなことに役立っているのか,例をあげて説明しなさい。」 たいていの入塾してまだ浅い生徒の解答はこうなる。 「熱いやかんに手をふれて,思わず手をひっこめる。」 これで解答したと本気で思っているのだ。 なんやったら、ときには、大人でさえ、え? これ正解じゃないのとまで言いのける始末である。 これが塾通いをすると、きちんと解答できるようになります。 使命感と熱意のある講師が指導するから。 つまり、裏を返せば、学校だけに任せていたら、そうならない、ってことです。 たいてい、使命感と熱意のある講師がそこにいないから。 私はモーニング娘世代なので、 日本の未来は世界が羨むと少年時代によく聞いていたが、あれから20年ほどがたち、 これが”あの頃の未来”の日本の現実である。 今からさらに20年後のこの国が、少しでもマシになるように、 日本の未来そのものを創っていく、それが教育者たるものの責務です。 残業代よこせとか裁判所に泣きついているようなヒマはございません。 却下されとるしw 使命感と熱意のない者は現場から去れ! 明るい未来を手に入れるためには、 君らがそこにいてはいけないのだよ。よそいけ。

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ちらほら生徒たちから,「今までのどの先生よりも一番わかりやすい!」と言ってもらえているようである。 それもとくに国語の授業のことらしい。 まず、国語はとくに、学校と塾では授業のクオリティが違いすぎる。 学校の授業はあらかじめ生徒が持っている教科書の文章を題材にしている。 定期考査もその文章が出てくる。つまり、学校の授業は、何度も読んだことのある文章を使って授業をし、 その授業をした先生がテスト問題を作るため、ようは、学校の先生のやりたい放題の自由wwwな解釈が横行しているのである。 論理的に正しいかどうかよりも学校の先生の話を、「素直に」聞いていたかどうかが試されるのだ。 ほら、学校の先生って、好きでしょ。「素直な子」が…  たとえ、それが論理的には疑わしい解釈であっても、学校の先生の言うことはすべて正しいのだw 一方,塾では入試を意識しているので,初見問題でいかに答を探すかを指導する。全くアプローチが違っている。 そして,入試問題の答を説明する方が明快なのだ。 テストである以上、当然なのだが、答は「ひとつに決まる」ように問題が作られているからである。 (ただし、学校のそれはその限りではない。不思議なことに。) あと、問題集や模試などの解説文は生徒に寄り添っていないことが多い。 納得できる根拠がきちんと書かれていない,はたまた解説文そのものが難解で読解できないw場合が多い。 わたしの授業は,そういう意味では納得感があるので「わかりやすい」と感じるのだろう。 ところが,答の探し方を聞いて「納得」しても,それが自分で探す力にならないといけない。 納得した時点では,実はその文章は既読文であって,自分で探さないといけないのは 「初見の文章」を「時間内」に「自分ひとり」で という三重のハードルがあるのだ。 初見文を題材にした問題を時間内に解くための答の見つけ方をこの間も中3生に講義した。 シンプルな話だが,設問で扱われているキーワードを探すというやり方。 問題文を全部読んで,そこから答を探すのは時間がかかる。 設問の度に全部読んだりしていたら、dede~n アウト! そこで,設問を解く根拠にできる「単語」を問題文全体から探して, その付近から答を探すと圧倒的に速く見つけられる。 本当は,問題文全体でなくとも傍線部の前後だけで済むことが多い。 そういうのは練習しているうちにできるようになる。 国語って,勉強の仕方がわからないとよく聞くが,実はちゃんと訓練すれば一番点数が伸びる科目なのだ。 ただし,そういう訓練の前提になるのが,やはりなんやかやいうても語彙力! こればっかりは「実力」がそのまま反映されてしまう。 設問を解く根拠にできる「単語」自体そのものを語彙力がなければ見当をつけられない。 なにかにつけて、すぐ「ヤバイ! ヤバイ!」を連呼しているばかりの、そこのアナタ! ちょっと一週間、「ヤバイ」禁止を自分に課してみ? あと、今の子、知ってるかな? 「マジカルバナナ」(^^♪ 保護者の方に「何が言いたいの?」と言われまくっているそこのアナタ! いますぐ「マジカルバナナ」をググって、家族と遊びましょう!! (保護者の方々、懐かしみながら、付き合ってあげてくださいm(__)m)

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突然ですが、以下、読んでみてください。 「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教育審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんと いうことです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすこと に振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばい いんです。  トップになる人間が幸福とは限りませんよ。私が子供の頃、隣の隣に中央官庁の局長が住んでいた。その母親は魚の行商をしていた人で、よくグチをこぼしてい たのを覚えています。息子を大学なんかやるもんじゃない。お陰で生活が離れてしまった。行商も辞めさせられて、全然楽しくない、魚屋をやらせておけばよ かったと。裏を返せば自慢話なのかもしれないが、つまりそういう、家業に誇りを与える教育が必要だということだ。大工の熊さんも八っつぁんも、貧しいけれ ど腕には自信を持って生きてきたわけでしょう。 今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら“どうせ俺なんか”で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。  平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれ ど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。それが“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい 時代だから、回りくどく言っただけの話だ」 (前教育課程審議会会長 三浦朱門) さて、今読んでいただいたのは… ゆとり教育は失敗だったのか、と世間をにぎわせているころの当時の最高責任者であった人物の答申です。これを読めば、ある意味、それは成功していたと理解できます。氏の狙い通り、学力の二極化は顕著になり、平均は大きく下がるけど、立派な若者も出てきていました。まさに計画通り。実は、真の意図でいえば、ゆとり教育=エリート教育は大成功していたのですね。とはいえ、世論がそれを許さなかった。多角的な視点で人物を評価できるように、新しい学力観の模索は止まることは絶対にありません。 では、次にこれを読んでみてください。 戦後の文科省の学力観の変遷 今日の学校教育に強く影響している学力観は大きく3つある。  まず、1970年代の詰め込み主義が落ちこぼれ・少年非行・校内暴力などの教育問題・社会問題を招いたことへの反省から生まれたのが「新しい学力観」(1987年)である。関心・意欲・態度の強調と自ら学ぶ意欲と社会変化に主体的に対応できる能力の強調が特徴である。 この「新しい学力観」をさらに展開したものが「生きる力」(1996年)である。心の教育や身体の教育にまで踏み込んだのが特徴である。  これらの学力観は文科省が教育課程審議会や中央教育審議会で提案してきたものであり、まとめて「ゆとり路線」と呼ばれることもある。しかし、文科省の「ゆとり路線」は、大きな障害に出合う。子どもの自主性の過度な尊重による教育指導の後退、および学力低下への懸念である。  文科省はマスコミをあげての教師批判と学力低下批判の高まりのなかで、「ゆとり路線」を守るために「確かな学力」の学力観を提案した。この「確かな学力」は『学びのすすめ』(2002年)の中で提案され、今、日本の学校教育を方向づけているのはまさにこの学力観である。その特徴は、学力低下批判論者が唱える学問中心主義や勤勉主義を一定程度まで取り込みつつ、「ゆとり路線」の中核にある経験主義や児童中心主義を守ろうとしていることである。いわば新旧両立的ないしは新旧融合的な学力観である 『学びのすすめ』が提案する「確かな学力」は、上述のように、学力低下批判への対応と、子どもへの過度の自主性の尊重(≒教師の受け身的、放任主義的傾向)の修正の試みであるとみることができる。「ゆとり路線」を守り通そうとした文科省の苦肉の策とみることができる。そしてそのような背景から『学びのすすめ』は、なによりもまずきめ細かな指導(=教師の積極的な指導)を求めている。さらに、旧来の指導の原理である〈勤勉主義+教科書(学問)中心主義〉と、古くて新しい指導原理である〈経験主義+児童中心主義〉 の両立をはかろうとしていることにその特徴を見い出すことができる。  文科省ウェブサイトから、「確かな学力」を育てるための具体的な提案をみると、新旧両原理の両立を目指すという特徴が、「きめ細かな指導」「基礎・基本」「学ぶ習慣」「自ら学び自ら考える力」などといった言葉の混在で表現されている。 (ベネッセ教育総合研究所) ベネッセさんが寄稿した文書でした。さて、 要するに、知識を「覚える」だけではなく「使える」ようになりましょう、という話です。 それを1980年代後半からずーっと同じことを言い方を変えながら繰り返しているだけです。 文科省は基本的には、ゆとり教育=エリート教育が正しいと思っているのでしょう。しかし、やはり学力不安も取り除かなければなりません。だから、覚えることも大事ですよー、と取り繕うように言い続けているわけです。 漫画ですけど、「ドラゴン桜」では、詰込み教育こそ真の教育である!と明言していました。そりゃそうです。「教える」以外に学校ごときに何ができるのでしょうか。 これからの学力といっても、そんなに大げさに変わるものでもありません。使える知識を習って使いこなせるようになるまで練習する。ただそれだけ、もっといえば、未来永劫「今まで通り」です。

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まあ、これを生徒本人が言っているとして、自分なりにまがりなりにも 自己分析をしたのだから、その点は肯定的に受け止めてよいでしょうね。 これを保護者の方が言っているとして、いや、生徒本人が言っていても同じですが、 「それはなぜだと思いますか?」と問うたら、どのように返すのでしょうか。 「読書量が足りないから」とか「解き方のコツを習ってないから」とかでしょうかね。 もし、読書量が足りないとおっしゃるのが保護者の方であれば… 私から差し出がましくも助言するとすれば、「保護者の方はおうちで本を読んでいますか?」 「我が子に『オススメの本は?』と聞かれて即答できますか?」とまあ、このあたりでしょうかね。 「解き方のコツを習っていない」について、 まず、そもそも「そんなもの」が存在するのかどうか疑わしいのですよねー。 生徒たちは、いや、ときに保護者の方でさえ、 教師を魔法使いかなにかと勘違いでもしてらっしゃるのでしょうか。 いいですねー、ホーリーアップ!! と唱えたら答案用紙がびっしり埋まる魔法。欲しい。 即効で長文がみるみる解けるようになる魔法の講座を受けたいなら、 そんなのうちはやっていませんから、そんな怪しい特効薬を売りつけている、 よその詐欺師にどうぞ騙されていてください。 少しだけ話がそれるのですが、そもそも、この「習っていません」とは何事でしょうか。 このセリフは「習った事はすべて正しく覚えている」人が言うのなら意味はあるでしょうが、 そんな人間はいませんので、つまり、このセリフはロボットが言いでもしないかぎり、不成立。 この世界に存在しない言葉なのですよ。 ちょうど、「消しゴムどっかいった」とよく似ている気がします。 主語を自分にしない、責任転嫁、要するに、「他人のせい」です。 自分が消しゴムをどっかにやったのです。あまりにも当たり前ですね。 「習ってない」ではなく、「自分が教科書を読んでいない」のです。至極当然です。 さて、閑話休題。「長文が苦手」「文章題が解けない」の正体… いたって単純極まりない答なのですが…  知りたい方は直接私に会いに来てください。 とまあ、話そらしておいて、肝心の本題は多くを語らないというスタイルです。 とはいえ、逸れた話の方、非常に重要なことを実は言っていますよ。 『「習ってない」ではなく、「自分が教科書を読んでいない」』 これはよく噛みしめてほしいと思っています。 というのもそうすれば、おのずと表題の答は明らかになってくるからです。 よければ、答え合わせしにきてくださいね☆ 待っていますよ(*^^*)

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【ステップ1】子どもの話を聞く ついついやってしまいがちなのが「子ともの気持ちを考慮することなく自分自身の意見を通す」ということです。実は子どもを大切にするということで最初にすべきことが「相手の話を聞く」ということ。子どもの話を否定することなく、子どもの話を聞いてあげることですそうすると子ども自身は「自分自身が受け入れてもらった」と思って心を開いてくれるのです。自分自身の一方的な価値観の押し付けや自分の意見を通すことをしても、子どもは決して心を開くことはありません。まずは相手の話を聞くことです。否定することなく聞いてあげることなのです。大切なことは「この人はわかってくれる」という人に思ってもらうことです。子どもに教えるのはそれが終わったずっとあとの話なのです。 【ステップ2】「できるところ」からスタートとする 子どもが心を開いたら、次にできるところからやることです。指導していて一番問題なのはこんなことです。「勉強嫌い」な子どもに対して「この子は英語ができないんです」と言ってさらに嫌いな「英語をお願いします」とスタートすることです。そうすると「嫌い」がダブルですから前に進むことはできません。勉強嫌いだとしても好きな科目はあるはずです。あるいは、まだマシな科目でもいいです。そういったできるところからやるのです。しかも、その中でもさらにできるところから。そして、子どもが「自分でもできる」ことをイメージできるとスタートし始めるのです。勉強をスタートさせるのは自転車をこぐのに似ています。最初が一番力が必要になります。力を行けてこぐ。そうすると自転車は動き始めます。そうするとドンドン勢いがついてきます。 【ステップ3】点数のアップの道順を作る 子ども自身が「自分でもできる」と思えばやることができます。親や先生が「あなたはできる」というよりも自分自身で「やれるところができて、それを積み重ねるようにすれば希望の得点が取れる」ようになればやる気にはなります。まずは物語にあったように「どこができるか?どこか解けそうなのか?」ということを確認するとことです。そして、希望の点数が取れるまでの、「点数アップのロードマップ」を作って共有することです。すると「それだったらできる」という風にまずはスタートすることです。 【ステップ4】小さな実績を積み上げていく 「あなたはできるよ」と100回言うよりも「1回できた」方が確実に子どもは伸びます。まずは「自分自身でできた」という体験を積ませていくことです。できることからスタートしてできるところ1つ1つやっていくとどうなるのか? 「学校の授業で先生の言っていることがわかる」 「小テストで100点を取れた」 「他の子より速く問題が解けた」 となります。そのような実績を積み上げていくと子ども自身はどんどんどんどんできるようになります。 【ステップ5】1つ1つレベルを上げてトンネルを抜ける できるようになれば、次はそのレベルをまるで赤ちゃんが一歩一歩歩けるようになるようにレベルを上げていきます。焦ることなくできることを増やしていくわけです。それを地道にやっていきます。大切なのは確実に結果が出るまでが勝負です。「テストで点数が取れた」「通知表が上がった」と大きな結果が出ると子どもはやる気になります。問題はその結果出るまでどうやって子どもを導くかです。右の図のようにそれは川底に石を積むようなものです。最初は石を積んでも水面には変化がありません。つまり結果は出ないのです。ですが、それを続けていくといきなり、結果が出るようになります。 それまで勇気付けて励まして、いく必要があるのです。以前こんな子がいました点数が6点台だった子が67点になった子です。その子が言ったセリフです。「成績が上がるまではまるでトンネルの中にいるようだった」と。それぐらい子どもは成績が上がるまでが暗澹としています。それを導いてあげるのです。トンネルの中に子どもを「あと10 m。あと5 m。もう少し。あと3 m。もう少しだ。がんばれ」 という風に子どもを励まし導いてあげるのが塾の先生の仕事なのです。

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