【豊中第3ゼミ】「清少納言」の名前…?
こんにちは!
豊中第3中専門の個別指導塾、豊中第3ゼミナールの松濱です!
長いようで短かった夏期講習もいよいよ終盤に入りました!
みんなまだまだ一生懸命、自信の課題や成長に向けて全力で奮闘しています!!
そんな中、古典の勉強をしていた、とある生徒からポロリとこんな言葉がこぼれました。
「清少納言とか紫式部とか名前がややこしい!」
「女性なのにこの名前って変な感じがする!」
確かに現代基準で考えると、
「変な名前」「覚えにくい名前」と思ってしまうのも無理のない名前です。
それもそのはず・・・
日本史に残る有名な書物、「枕草子」「源氏物語」を書いたこの2名ですが・・・
実は、、、
「どちらも名前ではない」
んです。
「歴史にそう残っているのに名前じゃないってどういうこと?」
と思う方もいるのではないかと思います。
そもそも、この2人が活躍した平安時代には、
女性の本名というのは「忌み名」と言われ本当に親しい一部の関係者にしか伝えられないものでした。
誰もが見る記録に本名が載るなどもってのほかである!
と考えられていたので、当時の女性の本名が残っているものは本当に珍しいのです。
大体の場合は、
父親をはじめとする親族の
「役職名」+「苗字」などから取られた文字で呼ばれていました。
なので、清少納言の場合は、
「清(清原)」さんの一族の「少納言(役職)」の娘
というような形です。
ちなみに、紫式部の場合は、
後世になってから源氏物語の登場人物から紫の字を取って呼ばれたもので、
実際は「藤式部」だったそうです。
その場合でも、
「藤(藤原)」さんの一族の「式部」の娘
という同じルールで名前が呼ばれていました。
現代の子どもたちからすると、覚えにくいのもある意味当然です。
そもそも名前じゃないのですから!
他にも、こんな風に名前に関する慣習などが多くあります。
例えば、武士の家だと父親の名前から一文字もらって名前を付けるのが流行っていたりとか。
源氏の例で行くと「源為義」→「義朝」→「頼朝」→「頼家」のように…。
日本史だと敵味方の陣営に、
似たような名前の「源さん」や「平さん」が大量発生しますが、
こんな慣習があったというのが大きな要因です。
こういった教科書には載らないところまで知るようになると、
歴史を知るのがもっと楽しくなります!!
豊中第3ゼミでは、こういった歴史に興味を持てるような豆知識もどんどん発信していきます!
暗記だけではない歴史の面白さ、どんどん知っていきましょう!
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