【小園ゼミ】小園ゼミ塾長の歴史探訪⑤ 2024年5月28日
皆さん、こんにちは!
小園ゼミナールの竹内です。
暖かくなったり肌寒くなったり、体調崩しやすくなる時期がやって来ました。
何か1枚羽織るもの持ち歩いておけば安心ですね。
さて、今回のブログは歴史探訪⑤です。
先日、仕事終わりの土曜日晩から弾丸で岐阜県に行ってきました。
まずはここです。
そう、岐阜城です(本当は犬山城に行きたかったのですが、流石に限界でした、、、)
今ある岐阜城は昭和31年に再建されたものなので当時のものではありませんが内部が資料館の様に
なっており、当時の様子を示したものが数多く展示されていました。
織田信長が、義理の父斉藤道三の息子龍興から奪還し、天下統一の足掛かりとした城で
数々のおもてなし文化が信長発信であったとされています。
また、「岐阜」という地名も中国の漢詩から信長が改めたとされています(諸説あり)。
ただ、今回岐阜に行ったのはこの岐阜城がメインではありません。
個人的メインイベントは 、こちらでした。
何か分かりますか?
日本の伝統漁業の1つ「鵜飼」です。
ざっくり簡単に説明すると「鵜」という鳥を用いて行う漁業です。
今回見に行ったのは岐阜県の長良川で行われるもので、
特にこの長良川で行うものを御料鵜飼と呼びます。
この鵜を操る人を「鵜匠(うしょう)」と言うのですが
誰でもなれるわけではありません。
正式には「宮内庁式部職鵜匠」といい
宮内庁に属する国家公務員です。
ちなみに世襲制なので岐阜県長良川で鵜匠になることは
基本的に不可能です。
どこが歴史探訪やねんと言う声も聞こえてきそうですが、
この鵜飼、『日本書紀』に記述があるほど
歴史を持った漁法です。
(日本書紀には嘘が多いとされていたりしますが、この際一旦無視します。むしろ嘘であったとしてもその当時のものに記載があるだけで十分意味があるような気がします)
安土桃山時代前後では当時の武将は鷹狩りにいく事が日常としてありましたが、
この岐阜県では信長以後、鵜飼の人々を庇護の下、観光として活用していたそうです。
日本語の「鵜のみにする」という言葉は
この鵜が魚を丸のみにする様子が起源とされています。
この鵜飼の様子は長良川流域の近隣住民の方の協力あって成り立っていました。
決まった時刻になると全ての民家(ホテル除く)が電気を消し、かがり火以外の明かりがほとんどなくなります。
まさに地域に密着した伝統だなと感じました。
我々も地域密着の学習塾として精進しないといけませんね。
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